学校では、どうしても問題行動を起こす児童生徒に指導のエネルギーを取られてしまいがちです。
すると、普通に真面目にやっている子への先生方の関りが薄くなってしまいます。
薄くなってしまうことは避けたいのですが、それ以上に避けたいのが、普通にちゃんと真面目にやっている子を正当に評価しないことです。
例えば、毎日のように清掃をサボっている生徒が、教師が見回りに来た時に
たまたま真面目にやっていると
「やればできるじゃないか!いいぞ、頑張って続けような!先生は嬉しいぞ!」
と褒められたとします。
一見、良い声掛けのように思えますが、まずい対応です。いつも真面目にやっている生徒はたまったものではありません。
大多数の真面目な生徒のいつもの頑張りを正当に評価し、
「君がいつも真面目にやってくれているお陰で・・・」とか
「ごめんね。いつも声掛けできなくて。でもちゃんと見てるからね」
がないと、まじめな生徒のモチベーションが上がるはずがありません。
要は、あなたをちゃんと見ているということを伝える責任が大人にはあるということです。
ところで、オーケストラは、活躍の目立つバイオリンと滅多に顔を出さないチューバ(ドボルザークの新世界では45分中1分程度)など、様々な楽器に支えられています。
演奏者一人一人にとって、一番大切なのは指揮者との関係のようです。
カラヤンは、全ての演奏者に、個別の一対一の関係を意識させるのに優れていると言われていました。
全体に振られているタクトでさえ、一人一人の演奏者が、「あのタクトは自分のために振られている。」と意識することが、仕上がりを素晴らしいものにするようです。
本来、指揮者のタクトは始めるタイミングと終わるきっかけを与えるものでしょうが、こういった関係を作り上げれば、指揮者が髪を振り乱して伝える情感さえ、自分に向けて伝えてきていると理解できるのでしょう。
学校では、どうでしょう?
朝の会や帰りの会などの話が、全員に向けてのものであっても、一人一人が自分に向けての言葉だと思えたら、受け取り方も違ってくるでしょう。
もしかしたら、全体に向かって先生が笑顔を見せた時にチラッと目があった全員が、「あの先生の微笑みは、きっと自分だけに向けられたものだ。」と感じたら、しめたものです。
ある意味、自分は先生に贔屓(偏愛)されていると、全員が思ったら、それは平等だとも言えます。
その平等な依怙贔屓が生徒を安定させるのです。
今回のお話はここで終わります。
次回をお楽しみに
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