Hidden curriculumは日本語で「隠れたカリキュラム」と言います。
今は、年間のカリキュラムを保護者に公開していますので、教科や行事などはやる時期も内容も分かっています。
型は示されていると言えます。
しかし、教師の教える内容よりも大きな力を持っているのが、教師の姿そのものだったりします。
例えば、学級活動の時間に「時間を守る大切さ」を学習しても、時間通りに授業が始まらなかったり、遊びで遅れて教室に戻った児童に何の指導もしなかったりであれば、児童は時間は守らなくてもよいことを学習します。
家庭でも、母親が「信号を守らないと、命を失うよ。」と教えたとしても、わが子を車の後部座席に乗せて、黄色信号で何時もつっこんでいけば、「黄色は行ってよい」と学びます。
教えるつもりがないことを学んでしまうのですから、恐ろしいことです。
しかし、それだけ人は言葉ではなく、見た目で本質を理解してしまうのです。
ですから、映画の感動的なシーンに言葉がありません。
ターミネーターが溶鉱炉に解けていく時に、「頑張れよー!」と呼びかけるより、親指を立てる方が意味を想像させます。
映画「今を生きる」では、生徒の興味を高め、楽しい指導を続ける教師(ロビンウィリアムス)を校長が辞めさせるシーンで、「やめさせるな」と生徒が連呼するわけでなく、机の上に全生徒が無言で立ちました。
その校長への無言のメッセージは生徒の意思を強く表しました。
お昼の1時に約束したデートに15分遅れた彼氏に、笑いながら「私、怒っているんだから」と言うのと、怒りの表情で「私、怒っていないから、気にしなくていいよ」では、どっちが迫力がありますか?
本当に言葉でないものは、多くを伝えますね。
となれば、学校のというか先生方個人の隠れたカリキュラムを見直す必要もありますね。
これは、本音と建て前を近づける作業ですから、かなりのエネルギーが必要です。児童に、大切だと伝えていることを授業の中でも日常の会話でも合致させなければならないからです。
合致しなければ、隠れたカリキュラムに軍配が上がりますからね。
また、先生の姿そのものではないけれども、もう一つ隠れたカリキュラムがあります。
授業で教えたいのは、その教科の内容なのですが、「席に着きなさい」、「プリントはファイルに綴じなさい」など、その教科の目標とは無縁の指示が授業の中には沢山入り込んでいる状態のカリキュラムです。
この小言(隠れたカリキュラム)が、授業時間で幅を利かせてくると教科の指導どころではありません。
本来のカリキュラムが追いやられてしまいます。
これを世間では学級崩壊と言います。
だからこそ、隠れたカリキュラムを整理して、見えているカリキュラムを磨きたいものです。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに。