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2025年6月23日月曜日

隠れたカリキュラム

Hidden curriculumは日本語で「隠れたカリキュラム」と言います。

今は、年間のカリキュラムを保護者に公開していますので、教科や行事などはやる時期も内容も分かっています。

型は示されていると言えます。

しかし、教師の教える内容よりも大きな力を持っているのが、教師の姿そのものだったりします。

 例えば、学級活動の時間に「時間を守る大切さ」を学習しても、時間通りに授業が始まらなかったり、遊びで遅れて教室に戻った児童に何の指導もしなかったりであれば、児童は時間は守らなくてもよいことを学習します。

家庭でも、母親が「信号を守らないと、命を失うよ。」と教えたとしても、わが子を車の後部座席に乗せて、黄色信号で何時もつっこんでいけば、「黄色は行ってよい」と学びます。

教えるつもりがないことを学んでしまうのですから、恐ろしいことです。

 しかし、それだけ人は言葉ではなく、見た目で本質を理解してしまうのです。

ですから、映画の感動的なシーンに言葉がありません。

ターミネーターが溶鉱炉に解けていく時に、「頑張れよー!」と呼びかけるより、親指を立てる方が意味を想像させます。

映画「今を生きる」では、生徒の興味を高め、楽しい指導を続ける教師(ロビンウィリアムス)を校長が辞めさせるシーンで、「やめさせるな」と生徒が連呼するわけでなく、机の上に全生徒が無言で立ちました。

その校長への無言のメッセージは生徒の意思を強く表しました。

お昼の1時に約束したデートに15分遅れた彼氏に、笑いながら「私、怒っているんだから」と言うのと、怒りの表情で「私、怒っていないから、気にしなくていいよ」では、どっちが迫力がありますか?

本当に言葉でないものは、多くを伝えますね。

となれば、学校のというか先生方個人の隠れたカリキュラムを見直す必要もありますね。

これは、本音と建て前を近づける作業ですから、かなりのエネルギーが必要です。児童に、大切だと伝えていることを授業の中でも日常の会話でも合致させなければならないからです。

合致しなければ、隠れたカリキュラムに軍配が上がりますからね。


また、先生の姿そのものではないけれども、もう一つ隠れたカリキュラムがあります。

授業で教えたいのは、その教科の内容なのですが、「席に着きなさい」、「プリントはファイルに綴じなさい」など、その教科の目標とは無縁の指示が授業の中には沢山入り込んでいる状態のカリキュラムです。

この小言(隠れたカリキュラム)が、授業時間で幅を利かせてくると教科の指導どころではありません。

本来のカリキュラムが追いやられてしまいます。

これを世間では学級崩壊と言います。


だからこそ、隠れたカリキュラムを整理して、見えているカリキュラムを磨きたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月19日木曜日

力のつかない学び

ブロック学習とランダム学習という考え方があります。

ブロック学習は、限定された分野を集中的に学び、ある程度理解が深まったら違う分野を同じように集中的に学ぶ方法です。

バレーの練習だったら、ひたすらサーブの練習を繰り返し、上手になったらレシーブの練習、

次に、アタックの練習ばかりといった感じです。

一方のランダム学習は、様々な練習を一日の中でローテーション的にやるものです。


算数の角柱の問題で

①点の数を求める

②線の数を求める

③面の数を求める

があるとき、ブロック学習で①ばかりやって、次に②ばかりに移ったグループと

①②③を1問ずつ交互に学んだグループのテスト結果は、交互に学んだ方が格段に良い結果が出ています。


ただ問題があります。

結構深刻な問題、誤解があるのです。


ブロック学習をしたグループの学習満足がかなり高いのです。

結果は劣っていても、頑張った感、充実感があるのです。

1か月後の記憶の保持率が、ばっかり練習(ブロック学習)は低いにも関わらずです。

数値的な証拠を突き付けても、ブロック学習を指導者も学習者もやめようとしません。


考え方を変えなければ改善は望めません。


学校の宿題

家庭の学習

先に学んだものも上手に組み入れることが記憶を確かにします。


「今日はもうすることがない。」

という子の発想は、ブロック学習の発想。

しっかり交互学習を自分のものにできるよう頑張ってほしいし

学校もサポートしてほしいものです。


キャリア教育では、固定概念を溶かし、多様性や柔軟性を学ぶことも大切にしています。

この学び方の「フツー」を疑い改善することも、未来につながるはずです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月18日水曜日

点数はついてくる

 経済同友会の副代表幹事の日色 保さんは、日本マクドナルドCEOですが、面白いことを言っています。

社員の出身大学の偏差値と会社での実績を調べたところ、見事に相関関係はないことが分かったらしいのです。

しかし、そんなことは大人なら薄々みんな気づいていたと思います。

色んな職場に出身大学の名前からは想像できない普通人と遭遇したことがあるでしょうから。


社会に出れば、数学が70点か80点かは、問題にすることはありません。

・チームのメンバーとしてよいものを作り上げよる協働力や粘り

・責任感や強い意志

・何度失敗しても挑戦する心

など、大人になると大切なものが見えてきているのに、なぜか子どもの教育では点数を気にします。

そうなると、子どもも点数に変なこだわりを持ってしまいます。

謎の不幸が見えてきます。


だから、点数を気にしなくてもいいとは思いません。

捉え方を変えなければなりません。

テストまでの準備力、計画力、その後の改善力を磨くものだと捉えたいものです。


つまり、テストという場を借りて、物事に対するアプローチの力を磨くものだと考える。

何点取ったかではなく、準備の仕方を反省し次に生かす、結果的に分からなかった部分を分かるに変えることが学ぶ力ですから


様々なテスト結果が配られて

「〇〇点だった。」

と一喜一憂するのではなく、

「次は~のような準備で臨もう」

「できなかった〇〇点部分を、もう一度やり直そう。」

とする態度こそが、将来にわたって使える確かな力だと思うのです。


何度も何度も繰り返されるテスト

点数ばかり気にしても何にも力はつきません。


先週の70点でも、今日90点になれば何の問題もありません。

その20点を埋める力こそ未来に役立つ学力です。

そして、そのプロセスを大切にすれば必ず点数はついてきます。


1学期にできなかった問題の総復習もせずに、提出さえすればよい夏休みの課題を与えても教師も生徒も無駄な労力を使うだけ。

学校によっては夏休みの課題作りが始まっているでしょうが

未来に役立つ学びを示したいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月17日火曜日

たどりつく力

 僻地の学校に勤めていた時、新入生は全員一輪車を乗るのが伝統になっていました。

町のイベントや学校の運動会で披露される一輪車の妙技は毎年、観衆の喝さいを浴びました。

今となっては良い思い出ですが、不安定な一輪車を学校全員が乗れるようになることがなぜ実現できたのでしょうか?

誰しも経験のある自転車は、左右に倒れるだけですが

一輪車は360度 全方向に倒れます。

時には頭から突っ込むし、背中からも落ちます。

その恐怖は結構なものです。

しかし、早い子で1週間、遅くとも1カ月で乗れるようになるのです。

もちろん、毎日練習するし、子どもたちなりのスモールステップがあります。

・まずは、乗って動かない

・片足から一歩だけ乗る

・両手を持ってもらって

・片手を持ってもらって

といった具合に乗るのですが、運動能力には個人差がありますから

当時の校長先生が出していた「一輪車免許証」が渡され始めると、なかなか乗れない子どもは焦ってきました。

それでも、先に乗れるようになった子がサポートしたり、声掛けしたりしながら、最後になってしまった子が運動場の端まで乗れた時、皆の笑顔がはじけました。


たかが、一輪車

しかし、ここには多くの示唆が含まれています。

・上達は、絶対個人差がある

・上達は、一直線ではなく、できない我慢の時間の先に一気に伸びる時を迎える

・上達は一人ぼっちではなく、励ましてくれる友がいて粘ってたどりつける。


学校は、楽しい方がいいし、無理強いはやめたい。

ただ、大勢の町民の前でさっそうと演技をし、誇らしげな笑顔の彼らには確かな努力がありました。


ところで、負荷のかかることは嫌ですし、避けたいのですが、

アメリカの心理学者であるエリザベス、ロバート・ビョルク夫妻は、「学習における望ましい困難」が必要なことを証明しています。

ただ授業を聞いたグループと、授業内容を他に教えなければならないグループでは

後者の方が圧倒的に負荷が高いですが、学習成果が極めて高いのです。


少しの困難を諦めずにやって成果を得た経験は、その後の人生に応用できます。

どこまでも行ける一輪車になりますから


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月16日月曜日

楽しみは・・・給食

コロナの時期、黙食が推奨されました。

とにかく黙って食べること。

この黙食は、味が3割減、満足度は5割減でした。

ただ、黙って食べるのは味気ないです。


豊かな食事とは何ですか?

と以前中学生に尋ねたことがあります。

昨日のおかずは?好きなメニューは?の質問に比べて頭を使う質問です。


結果、

家族がそろっている食事、

会話がある食事、

季節感を感じられる食事、

宮崎牛が使われている食事

などの答えが出ました。

ここでの注目ポイントは「家族がそろっている食事」「会話がある食事」です。

しかし、学校では給食時間は限られており、会話を楽しむと時間内に食べ終わらないことがあり、黙って食べることを指導されることも・・・。


家庭では、家族一緒に夕飯を食べたとしても、別々の動画を見ていたり、スマホ片手なら、これまた黙食や孤食と同じかもしれません。


最近、唐揚げ一つの給食がニュースで取り上げられていましたが、

何を食べるかよりも、誰と食べるか、どう食べるかを考えたいものです。


幕末の歌人、橘曙覧(たちばな あけみ)の歌に

楽しみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふとき

があります。


そんな豊かな給食を食べさせたいものです。

なかむつまじく うちつどい

は豊かな食事だと思いますから


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月15日日曜日

不登校とハメハメハ

 ずいぶん湿気も増して、過ごしづらくなりました。

会社や学校に行くエネルギーが出ない月曜日を迎えている人も多いでしょう。

ここが、南の島であれば

♬♬

南の島の大王は

子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで
風がふいたら遅刻(ちこく)して
雨がふったらお休みで
ハメハメハ ハメハメハ
ハメハメハメハメハ

で問題がないのでしょうが、そうはいきません。
あまり苦労せずに果物が実り、魚が取れるような環境ではないですからね。

学校には行ってほしいものです。

ところで、全国の不登校率を調べてみました。

北海道、東京、宮崎、沖縄

一番不登校率が高いのは、沖縄、次が東京、北海道、宮崎の順でした。

不登校と気温に関係はないようです。

特に冬になると、起きだすこと自体が億劫ですが、それが学校に行かない理由なら寒い地方の不登校率が高いはずなのに、そこに相関が見られないからです。

しかし、寒い冬に負けずに登校する北国の子どもたちは相当根性が鍛えられるだろうなと想像してしまいます。

それにしても、なぜ全国的に不登校の子どもが増えているのでしょうか?

学びの多様性はあってしかるべきで、何が何でも学校でということでは苦しい子がいるでしょう。

そんな時は、様々な教育施設を活用すればよいと思いますが、1つだけ大切にしてほしいことがあります。

それは、個別の学びだけに終わるのではなく、集団での学びを経験することです。


アレクサンダー大王は、知の巨人アリストテレスから学びますが、一人学習で終わっていません。

アリストテレスは、人間を社会的な動物だと考えていました。

どんなに才能あふれる子どもでも、一人ぼっちで学ぶのには限界があるということです。

人間は、共同体の中で生き、他者とのかかわりの中で、互いに刺激しあいながら成長するからです。

この考え方は、日頃の授業においても生かせます。

講義一辺倒の授業では、互いの刺激は生まれず、一人で勉強しているのと変わらないからです。


雨が降ろうと、雪になろうと

学校に出てきたのなら、ハメハメハの歌詞を変えるくらい互いに刺激しあえる学びを提供したいものです。

今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。






2025年6月12日木曜日

体験で替わる認識 米の値段

 普通の学校の米作り体験は、せいぜい田植えと稲刈り

あとは、大人たちが頑張ってくれていつの間にか精米された米が手に入ります。

ただこの程度の体験だと、お米は簡単に手に入るものだと誤解してしまうかもしれません。


私は日之影町の山間僻地校に勤務したことがあり、そこで米作りを任された経験があります。

「ここの田んぼをどうぞ使ってください。」

と地域の方に言われて始めた棚田での米作り。

夕映えで美しい棚田の映像を目にすることがあると思いますが、見るのと作るのでは全く違います。


田んぼ全体に酸素や栄養素が回るように田起こしをしないといけません。

田は収穫後に乾かしておいて土を空気に触れさせることが大切ですが、水を抜かれた田んぼは結構カチカチです。

面積は大したことがなくても、機械が入らないところでの力作業は結構大変

その後に代掻きといって水を張ってドロドロにかき混ぜて苗を植えます。


ところが、ほっと一安心とはいきません。

田んぼに水を入れたり止めたりは毎朝晩

時には用水路が詰まってしまうし、育っていく苗を食べる虫は現れるし、薬もまかないといけないし、

何より稲よりも元気な雑草がとんでもない勢いで育ってしまう。

毎日、田んぼに行く理由があるのです。


そうして、やっと収穫の時期を迎え、全部刈り取って、今度こそひと段落と思っていると

「稲わらをかける竹を準備したから、しばらく干しとくといい。」

とアドバイスを受ける。雨や風の天気予報が気になって

「干さなくてもいいのに」

と思うけれど、確かに干した米は旨かった。

(苦労が報われた喜びもあったから)


そんなこんなでやっと手に入る米作りを経験した私は、

最近のお米のニュースを見て

値段は気になるけれど、生産者の苦労や想いを思い出します。


キャリア教育で語られるのは当事者の経験や想い

色んな当事者の話を聞かせ、偏った知識に陥らない児童生徒を育てたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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隠れたカリキュラム

Hidden curriculumは日本語で「隠れたカリキュラム」と言います。 今は、年間のカリキュラムを保護者に公開していますので、教科や行事などはやる時期も内容も分かっています。 型は示されていると言えます。 しかし、教師の教える内容よりも大きな力を持っているのが、教師の姿そ...