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2025年6月23日月曜日

隠れたカリキュラム

Hidden curriculumは日本語で「隠れたカリキュラム」と言います。

今は、年間のカリキュラムを保護者に公開していますので、教科や行事などはやる時期も内容も分かっています。

型は示されていると言えます。

しかし、教師の教える内容よりも大きな力を持っているのが、教師の姿そのものだったりします。

 例えば、学級活動の時間に「時間を守る大切さ」を学習しても、時間通りに授業が始まらなかったり、遊びで遅れて教室に戻った児童に何の指導もしなかったりであれば、児童は時間は守らなくてもよいことを学習します。

家庭でも、母親が「信号を守らないと、命を失うよ。」と教えたとしても、わが子を車の後部座席に乗せて、黄色信号で何時もつっこんでいけば、「黄色は行ってよい」と学びます。

教えるつもりがないことを学んでしまうのですから、恐ろしいことです。

 しかし、それだけ人は言葉ではなく、見た目で本質を理解してしまうのです。

ですから、映画の感動的なシーンに言葉がありません。

ターミネーターが溶鉱炉に解けていく時に、「頑張れよー!」と呼びかけるより、親指を立てる方が意味を想像させます。

映画「今を生きる」では、生徒の興味を高め、楽しい指導を続ける教師(ロビンウィリアムス)を校長が辞めさせるシーンで、「やめさせるな」と生徒が連呼するわけでなく、机の上に全生徒が無言で立ちました。

その校長への無言のメッセージは生徒の意思を強く表しました。

お昼の1時に約束したデートに15分遅れた彼氏に、笑いながら「私、怒っているんだから」と言うのと、怒りの表情で「私、怒っていないから、気にしなくていいよ」では、どっちが迫力がありますか?

本当に言葉でないものは、多くを伝えますね。

となれば、学校のというか先生方個人の隠れたカリキュラムを見直す必要もありますね。

これは、本音と建て前を近づける作業ですから、かなりのエネルギーが必要です。児童に、大切だと伝えていることを授業の中でも日常の会話でも合致させなければならないからです。

合致しなければ、隠れたカリキュラムに軍配が上がりますからね。


また、先生の姿そのものではないけれども、もう一つ隠れたカリキュラムがあります。

授業で教えたいのは、その教科の内容なのですが、「席に着きなさい」、「プリントはファイルに綴じなさい」など、その教科の目標とは無縁の指示が授業の中には沢山入り込んでいる状態のカリキュラムです。

この小言(隠れたカリキュラム)が、授業時間で幅を利かせてくると教科の指導どころではありません。

本来のカリキュラムが追いやられてしまいます。

これを世間では学級崩壊と言います。


だからこそ、隠れたカリキュラムを整理して、見えているカリキュラムを磨きたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月19日木曜日

力のつかない学び

ブロック学習とランダム学習という考え方があります。

ブロック学習は、限定された分野を集中的に学び、ある程度理解が深まったら違う分野を同じように集中的に学ぶ方法です。

バレーの練習だったら、ひたすらサーブの練習を繰り返し、上手になったらレシーブの練習、

次に、アタックの練習ばかりといった感じです。

一方のランダム学習は、様々な練習を一日の中でローテーション的にやるものです。


算数の角柱の問題で

①点の数を求める

②線の数を求める

③面の数を求める

があるとき、ブロック学習で①ばかりやって、次に②ばかりに移ったグループと

①②③を1問ずつ交互に学んだグループのテスト結果は、交互に学んだ方が格段に良い結果が出ています。


ただ問題があります。

結構深刻な問題、誤解があるのです。


ブロック学習をしたグループの学習満足がかなり高いのです。

結果は劣っていても、頑張った感、充実感があるのです。

1か月後の記憶の保持率が、ばっかり練習(ブロック学習)は低いにも関わらずです。

数値的な証拠を突き付けても、ブロック学習を指導者も学習者もやめようとしません。


考え方を変えなければ改善は望めません。


学校の宿題

家庭の学習

先に学んだものも上手に組み入れることが記憶を確かにします。


「今日はもうすることがない。」

という子の発想は、ブロック学習の発想。

しっかり交互学習を自分のものにできるよう頑張ってほしいし

学校もサポートしてほしいものです。


キャリア教育では、固定概念を溶かし、多様性や柔軟性を学ぶことも大切にしています。

この学び方の「フツー」を疑い改善することも、未来につながるはずです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月18日水曜日

点数はついてくる

 経済同友会の副代表幹事の日色 保さんは、日本マクドナルドCEOですが、面白いことを言っています。

社員の出身大学の偏差値と会社での実績を調べたところ、見事に相関関係はないことが分かったらしいのです。

しかし、そんなことは大人なら薄々みんな気づいていたと思います。

色んな職場に出身大学の名前からは想像できない普通人と遭遇したことがあるでしょうから。


社会に出れば、数学が70点か80点かは、問題にすることはありません。

・チームのメンバーとしてよいものを作り上げよる協働力や粘り

・責任感や強い意志

・何度失敗しても挑戦する心

など、大人になると大切なものが見えてきているのに、なぜか子どもの教育では点数を気にします。

そうなると、子どもも点数に変なこだわりを持ってしまいます。

謎の不幸が見えてきます。


だから、点数を気にしなくてもいいとは思いません。

捉え方を変えなければなりません。

テストまでの準備力、計画力、その後の改善力を磨くものだと捉えたいものです。


つまり、テストという場を借りて、物事に対するアプローチの力を磨くものだと考える。

何点取ったかではなく、準備の仕方を反省し次に生かす、結果的に分からなかった部分を分かるに変えることが学ぶ力ですから


様々なテスト結果が配られて

「〇〇点だった。」

と一喜一憂するのではなく、

「次は~のような準備で臨もう」

「できなかった〇〇点部分を、もう一度やり直そう。」

とする態度こそが、将来にわたって使える確かな力だと思うのです。


何度も何度も繰り返されるテスト

点数ばかり気にしても何にも力はつきません。


先週の70点でも、今日90点になれば何の問題もありません。

その20点を埋める力こそ未来に役立つ学力です。

そして、そのプロセスを大切にすれば必ず点数はついてきます。


1学期にできなかった問題の総復習もせずに、提出さえすればよい夏休みの課題を与えても教師も生徒も無駄な労力を使うだけ。

学校によっては夏休みの課題作りが始まっているでしょうが

未来に役立つ学びを示したいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月17日火曜日

たどりつく力

 僻地の学校に勤めていた時、新入生は全員一輪車を乗るのが伝統になっていました。

町のイベントや学校の運動会で披露される一輪車の妙技は毎年、観衆の喝さいを浴びました。

今となっては良い思い出ですが、不安定な一輪車を学校全員が乗れるようになることがなぜ実現できたのでしょうか?

誰しも経験のある自転車は、左右に倒れるだけですが

一輪車は360度 全方向に倒れます。

時には頭から突っ込むし、背中からも落ちます。

その恐怖は結構なものです。

しかし、早い子で1週間、遅くとも1カ月で乗れるようになるのです。

もちろん、毎日練習するし、子どもたちなりのスモールステップがあります。

・まずは、乗って動かない

・片足から一歩だけ乗る

・両手を持ってもらって

・片手を持ってもらって

といった具合に乗るのですが、運動能力には個人差がありますから

当時の校長先生が出していた「一輪車免許証」が渡され始めると、なかなか乗れない子どもは焦ってきました。

それでも、先に乗れるようになった子がサポートしたり、声掛けしたりしながら、最後になってしまった子が運動場の端まで乗れた時、皆の笑顔がはじけました。


たかが、一輪車

しかし、ここには多くの示唆が含まれています。

・上達は、絶対個人差がある

・上達は、一直線ではなく、できない我慢の時間の先に一気に伸びる時を迎える

・上達は一人ぼっちではなく、励ましてくれる友がいて粘ってたどりつける。


学校は、楽しい方がいいし、無理強いはやめたい。

ただ、大勢の町民の前でさっそうと演技をし、誇らしげな笑顔の彼らには確かな努力がありました。


ところで、負荷のかかることは嫌ですし、避けたいのですが、

アメリカの心理学者であるエリザベス、ロバート・ビョルク夫妻は、「学習における望ましい困難」が必要なことを証明しています。

ただ授業を聞いたグループと、授業内容を他に教えなければならないグループでは

後者の方が圧倒的に負荷が高いですが、学習成果が極めて高いのです。


少しの困難を諦めずにやって成果を得た経験は、その後の人生に応用できます。

どこまでも行ける一輪車になりますから


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月16日月曜日

楽しみは・・・給食

コロナの時期、黙食が推奨されました。

とにかく黙って食べること。

この黙食は、味が3割減、満足度は5割減でした。

ただ、黙って食べるのは味気ないです。


豊かな食事とは何ですか?

と以前中学生に尋ねたことがあります。

昨日のおかずは?好きなメニューは?の質問に比べて頭を使う質問です。


結果、

家族がそろっている食事、

会話がある食事、

季節感を感じられる食事、

宮崎牛が使われている食事

などの答えが出ました。

ここでの注目ポイントは「家族がそろっている食事」「会話がある食事」です。

しかし、学校では給食時間は限られており、会話を楽しむと時間内に食べ終わらないことがあり、黙って食べることを指導されることも・・・。


家庭では、家族一緒に夕飯を食べたとしても、別々の動画を見ていたり、スマホ片手なら、これまた黙食や孤食と同じかもしれません。


最近、唐揚げ一つの給食がニュースで取り上げられていましたが、

何を食べるかよりも、誰と食べるか、どう食べるかを考えたいものです。


幕末の歌人、橘曙覧(たちばな あけみ)の歌に

楽しみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふとき

があります。


そんな豊かな給食を食べさせたいものです。

なかむつまじく うちつどい

は豊かな食事だと思いますから


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月15日日曜日

不登校とハメハメハ

 ずいぶん湿気も増して、過ごしづらくなりました。

会社や学校に行くエネルギーが出ない月曜日を迎えている人も多いでしょう。

ここが、南の島であれば

♬♬

南の島の大王は

子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで
風がふいたら遅刻(ちこく)して
雨がふったらお休みで
ハメハメハ ハメハメハ
ハメハメハメハメハ

で問題がないのでしょうが、そうはいきません。
あまり苦労せずに果物が実り、魚が取れるような環境ではないですからね。

学校には行ってほしいものです。

ところで、全国の不登校率を調べてみました。

北海道、東京、宮崎、沖縄

一番不登校率が高いのは、沖縄、次が東京、北海道、宮崎の順でした。

不登校と気温に関係はないようです。

特に冬になると、起きだすこと自体が億劫ですが、それが学校に行かない理由なら寒い地方の不登校率が高いはずなのに、そこに相関が見られないからです。

しかし、寒い冬に負けずに登校する北国の子どもたちは相当根性が鍛えられるだろうなと想像してしまいます。

それにしても、なぜ全国的に不登校の子どもが増えているのでしょうか?

学びの多様性はあってしかるべきで、何が何でも学校でということでは苦しい子がいるでしょう。

そんな時は、様々な教育施設を活用すればよいと思いますが、1つだけ大切にしてほしいことがあります。

それは、個別の学びだけに終わるのではなく、集団での学びを経験することです。


アレクサンダー大王は、知の巨人アリストテレスから学びますが、一人学習で終わっていません。

アリストテレスは、人間を社会的な動物だと考えていました。

どんなに才能あふれる子どもでも、一人ぼっちで学ぶのには限界があるということです。

人間は、共同体の中で生き、他者とのかかわりの中で、互いに刺激しあいながら成長するからです。

この考え方は、日頃の授業においても生かせます。

講義一辺倒の授業では、互いの刺激は生まれず、一人で勉強しているのと変わらないからです。


雨が降ろうと、雪になろうと

学校に出てきたのなら、ハメハメハの歌詞を変えるくらい互いに刺激しあえる学びを提供したいものです。

今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。






2025年6月12日木曜日

体験で替わる認識 米の値段

 普通の学校の米作り体験は、せいぜい田植えと稲刈り

あとは、大人たちが頑張ってくれていつの間にか精米された米が手に入ります。

ただこの程度の体験だと、お米は簡単に手に入るものだと誤解してしまうかもしれません。


私は日之影町の山間僻地校に勤務したことがあり、そこで米作りを任された経験があります。

「ここの田んぼをどうぞ使ってください。」

と地域の方に言われて始めた棚田での米作り。

夕映えで美しい棚田の映像を目にすることがあると思いますが、見るのと作るのでは全く違います。


田んぼ全体に酸素や栄養素が回るように田起こしをしないといけません。

田は収穫後に乾かしておいて土を空気に触れさせることが大切ですが、水を抜かれた田んぼは結構カチカチです。

面積は大したことがなくても、機械が入らないところでの力作業は結構大変

その後に代掻きといって水を張ってドロドロにかき混ぜて苗を植えます。


ところが、ほっと一安心とはいきません。

田んぼに水を入れたり止めたりは毎朝晩

時には用水路が詰まってしまうし、育っていく苗を食べる虫は現れるし、薬もまかないといけないし、

何より稲よりも元気な雑草がとんでもない勢いで育ってしまう。

毎日、田んぼに行く理由があるのです。


そうして、やっと収穫の時期を迎え、全部刈り取って、今度こそひと段落と思っていると

「稲わらをかける竹を準備したから、しばらく干しとくといい。」

とアドバイスを受ける。雨や風の天気予報が気になって

「干さなくてもいいのに」

と思うけれど、確かに干した米は旨かった。

(苦労が報われた喜びもあったから)


そんなこんなでやっと手に入る米作りを経験した私は、

最近のお米のニュースを見て

値段は気になるけれど、生産者の苦労や想いを思い出します。


キャリア教育で語られるのは当事者の経験や想い

色んな当事者の話を聞かせ、偏った知識に陥らない児童生徒を育てたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年6月10日火曜日

梅雨に入ったのだから

 旧東諸県郡高岡町に月知梅(げっちばい)という梅の名所があります。

高岡の穆佐小学校近くにあります。(穆佐は「むかさ」)

若い私は、冬の寒さに耐えて可憐に咲く梅の清廉さに気づいていませんでした。

全力で咲いてあっという間に散っていく桜に潔さや儚さに魅力を感じていたかもしれません。


前置きが長くなりましたが、どうやら梅雨に入りました。

昨夜の雨はかなりの物でした。

それにしても、この雨のシーズンをどうして「梅」雨と名付けたのでしょうか?

黴(かび)の出る季節の雨のことを黴雨(ばいう)と中国では言ってたからとか

梅の実の季節がちょうど6月の今頃だからとか諸説あるようです。


どちらにしてもこの時期の雨に「梅」を当てたセンスはいいなと思います。


さて、1学期のスタートを上手に切った子どもたち

仲間もでき、学校生活もなれ、外に誘うような気温なのに、梅雨では・・・

しかし、考えようによっては、読書にうってつけです。

読書は

・語彙、表現力が増す。(表現が難しい気持ちやニュアンスを伝えられる)

・感情理解や共感力が増す。(いつもの自分ではない立場から登場人物になり切って考えられる)

・非日常の世界を味わえる

・先人の人生を追体験できる

ことも期待できます。

これから、子どもたちが出会うであろう人や事柄に対して、本の中の世界で鍛えられた展開を読む力で対応できたら最高です。


梅雨に入ったのだから

読書の無限の世界を思いっきり楽しんでほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月9日月曜日

基本が大切

最近は、書き順にあまりこだわりがなくなりましたし、試験でそれを問うことも少なくなりました。

要は、書ければいいし、読めればいいのでしょう。

確かに、日常生活はパソコンで事足りますし、手書きそのものは減っていますから。


しかし、漢字は基本的にカナの組み合わせ

「空」は「ウ」+「ハ」+「エ」でできています。

やみくもに書き順を覚えるのではなく、何で構成されているかを考えると

文字も美しく書けますし、覚えやすくもなります。

学校の習字でも、漢字よりもまず「カナ」を書けるようになることが大切です。


ピアノでも指のキーポジションを無視すると、途端に指が届かなくなるし、

ギターでも、小指で弦を押すのが苦手で逃げてしまうとGコードからCやFへのコード進行が難しくなる。

パソコンでも、基本ができていないとブラインドタッチどころではない。

ある一定のレベルまでの上達は、基本を無視しても望めるかもしれません。

ピアノなど基本無視で、中指だけでメロディーを引いた方が簡単で、5本の指を使う方が最初は難しいですから。

しかし、途中からの上達のスピードは一気に遅滞します。

何が邪魔をするか?

それは、基本を無視しして体得した自分の癖です。


基本はすんなりと体得できないことがあり、面倒くさいこともあります。

小さな子にとっては「イヤイヤ」の原因になるでしょう。

自由に弾きたいのに縛られた感じがしますから。


ただ、基本無視の自由が不自由を連れてくるのは確かだと思っています。


キャリア教育では、どの仕事をしていく中でも、基本となる能力や態度を子供たちに考えてもらいます。

基本を無視した不自由の未来に飛び立たせないために。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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自意識と成長

 以前、中学校の女生徒が眉をいじっていたということで、部活停止を主張する職員がいました。

中学校職員としては、規律を重視しなければ部活はできないと信じているわけですから、

「眉をいじるとは何事か!」

になるわけです。

しかし、思春期の女生徒が自分を意識し始める時期に、やみくもな禁止が本当に正しいのかは疑問です。

ましてや、男性顧問に

「私は眉毛が濃いので、少し切っていいですか?」

なんて恥ずかしくて言えるわけがありません。

美容室に行って前髪の長さを数ミリ単位で美容師に依頼し、自分の「かわいい」を考えているのに、一律禁止は納得解になりえません。

そもそも、第二次性徴による体の変化は自分で制御できません。

確実に大人への変化が始まります。

それに伴って精神も変化し始めます。

起きたままの髪の毛で登校するのが普通だった子が妙に鏡の前から動かなくなったり、

異性にときめいたり、

それは当たり前の変化であるのに、昔の学校は

「色気づくな」

と心の変化をよしとしない風潮があった気がします。


小学生が縄跳びや一輪車を始めると、

「先生!見てて」

と自分の成功の瞬間や成長を認めてもらいたがります。

しかし、思春期に入ると見てもらうことから、どう見られるかが大切になります。

その当たり前の心の成長を認め、集団生活を行う上でのルールを一緒に考えられるとよい気がします。


決まりを変えた経験がない若者は、ルールを変えたり提案したりすることを躊躇するのは当たり前。

若者の投票率の低下、政治への無関心


は大人が作ってきたのかもしれません。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月4日水曜日

憧れの長嶋茂雄

 一昨日、長嶋茂雄さんが鬼籍に入られました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

次々に一世を風靡した人が亡くなっていかれると、自分の船も近い気がします。

このニュースに際し、友人から

「俺の子どもの頃は、背番号3の寝巻き(今で言うパジャマ)だったけん。」

「家族みんなで見ていた野球中継では、長嶋が必ず打っとたばい。」

と皆タイムマシンに乗って昔に戻った感じでした。


熊本の天草で教員をしていた友人は、長縄のギネス記録を達成した時に

長嶋監督から激励の言葉と色紙を頂いたそうです。

その時、「ギネス記録達成おめでとう 長嶋茂雄」の色紙とともに

「先生って素晴らしいですね。」

と励ましの言葉を頂いたことが一生の宝だと言っていました。


今から考えれば、家庭1台のテレビでチャンネルも少ない時代は恵まれてはいなかった。

ただ、家族全員で喝采したり、ガッカリしたりする時間を持てたのは豊かだったのかもしれません。

プロ野球中継のために家族の食事時間が決められ、子どもはさっさと風呂に入らされていました。

つまり、家族のそれぞれが都合を合わせていていたのです。

ところが、スマホの普及で今や画面は1人1台

しかも、見逃し配信やダイジェスト配信があり、別に時間も気にならない。

家庭でも都合を合わせるということ自体が減っている気がします。


早く入れとせかされた時代のお風呂は五右衛門風呂 

言うことを聞かないとお湯はぬるくなる

さっさと食べろと言われていた食事

電子レンジがないので冷めてしまう


不便は家族みんなで都合を合わせることで乗り切っていました。

そして、この都合を合わせるということは社会性を育てていたのかもしれません。


自分の都合を優先させるための、相手の都合を100から0にするやり方ではなく

自分も我慢して80にするから、相手にも80で我慢してもらうような社会性がもしかしたら育っていたのかもしれません。


今回のお話はこれで終わります。

冷えたビールをぐっと飲み干す親父、

今と比べると糖度の低かったスイカを頬張るおふくろ

家族みんなが涼めるように扇風機を回し、小さなテレビ画面で活躍する

長嶋茂雄を食い入るように見ていたセピアの世界を思い出しながら


次回をお楽しみに

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2025年6月3日火曜日

親とは勝手なもの

 昨日は、財光寺中学校のよのなか挑戦前講話の内容を紹介しました。

その中で、生徒が、給料が高くて、苦手なことではなく、皆が優しく、定時に帰れて、クビにならない仕事に魅力を感じていることに触れました。

随分、調子のよい条件だなとは思いますが、親も変わらないのではないでしょうか?


自分自身もその矛盾に今頃気付いているのですが、

親として我が子に勉強を頑張れと励ましておいて、大学の講義が難しいと聞けば、

「もっと、講義内容を易しくしてくれたらなあ」

と思ったり、就職して仕事が大変だと聞くと

「もっと、楽な仕事だったらなあ」

と健康を心配したりします。


そうなると、小中学生の我が子を励ましたのは、将来楽になるためであって、能力を発揮するためではなくなります。

一生懸命勉強させておいて、大人になったら苦手なことをせず、楽を選び、組織からあまり必要とされない会社に入ってほしいと願っているようなものかもしれません。

ただ、そんな人材をいつまでも余裕で雇える会社はないはずですが・・・

本当に、親の気持ちは矛盾だらけです。


ただ、昔から言われているのは

子を背負って川を渡る親より、手を引いて水の怖さを体感させながら渡る親の方が子は育つと言われています。(私はすぐに手を出しがちで反省しています)


今後、日向市の14歳のよのなか挑戦で生徒を受け入れて下さる事業所の方にも

井戸の水を飲ませる経験よりも

井戸の掘り方を学ぶ経験をお願いしたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年6月2日月曜日

中学生の反応(財光寺中学校)

先週は、市内の財光寺中学校でキャリア教育についての講話をしました。

法律が変わって18歳で成人ですから、彼らにとっての4年後は大人です。

自分でできることも増えますが、裏を返せば子どもだから許されていたことが大人として扱われるわけですから、責任も伴うようになります。

中学生は、何となく不安もあるるけれど、漫然と日常を過ごしても大丈夫な気もするでしょうが、4年はあっという間にやってきます。

準備しようがしまいが、時間は確実に流れますから。


さて、子どもたちに就職条件にあてはまるものを答えてもらいました。

私が示した条件に大きく当てはまるなら、力いっぱいの拍手を

少し当てはまるなら小さな拍手で表現するやり方です。


・給料が高い・・・・・会場いっぱいの大拍手

・残業がない・・・・・大きな拍手

・リストラされない・・中くらいの拍手

・職場の雰囲気が良い・・大きな拍手

・好きな仕事・・・・・大きな拍手


つまり、給料が高くて、苦手ではなく、皆が優しく、定時に帰れて、クビにならない仕事です。

中学生らしい反応ですが、この選択肢はちょっとした意図があります。

それは、全部自分の資質や能力とは無関係で、他人様頼みの選択肢だからです。


そこで、報酬は誰かの有難うから発生するのだから、自分の能力や資質、態度を磨かないと、その仕事を任せてもらえないという話をしました。

中学生は、これから様々な職場での社会体験に出発します。

①経験させてもらう仕事は、誰の有難うをもらう仕事なのか

②その仕事に必要な能力や態度は何なのか

③その仕事は、どんな仕事の人たちと協力して成り立っているのか

を探ってきてほしいと願っています。


自分の興味のある仕事だけではなく他の仕事にも目を向け、自分の社会観を広げ、未来に向けて自分を磨くエネルギーをもらって帰ってこれたら最高です。


財光寺中学校の生徒の皆さん

頑張っていってらっしゃい!


今回のお話はこれで終わります。

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個別最適の学習と集団

最近は、大手の予備校や家庭教師塾などが個別の学びを推奨しています。

確かにネット環境があればAI学習と凄腕先生の授業が受けられますから、都会でなくてもその恩恵は受けられます。

なにしろ、生成AIで管理された学習は、英単語問題では20個くらいが出題されて、覚えていないものは繰り返し問われるけれど、一回目から答えられた問題は、まとめの100問テストの時にしか出てきません。

さらに、1週間後に、なかなか覚えられなかった単語だけを問うてくるのですから大したもんです。

ですから、覚えていないものを確実に習得できるわけです。

また、凄腕の授業内容も、自分がすでに分かっているところは早送りをし、どうしても分からないところを繰り返し再生できるのですから、本当に便利です。

これを日常の授業でやるとなると限界があります。

そもそも早送りをしたり、繰り返し再生させたりする場面は個人によって違うのが当然ですから。

新たな技術は、地方にいる私たちだからこそ、どんどん使いたいものです。(英単語を覚えるのに役立つ無料アプリも結構あります。)


ただ、思考を問うたり、探究したりする学習は、個別学習でいいとは思えません。

数学で言えば、ただ答えが正解であるのではなく、

・正確

・誰がやってそのやり方が成り立つ

・簡単

にできる方法へのたどり着き方を学ぶのに意味があります。

人間は、個人の知恵だけではどうしても乗り切れない問題に直面します。

その時は、ほかの人の考えと自分の考えを、互いに納得できる物差しで比べるしかありません。

時には比べるだけではなく、互いの良いアイデアを組み合わせることもできます。

なかなか考えを出せない人への助言や待ってあげる社会性も鍛えられるでしょう。

そういった学びの経験が、将来の生きる力を育むのですから。


参観日の視点として

ご自分の子ができない場面に遭遇しているとき、

・ただ待っている

・教科書やノートを振り返り始める。

・隣の子どもに聞きまくる。

・先生に尋ねる

かを見てあげてください。

集団で学ぶ場面では勉強ができるかどうかより、集団で学ぶよさを身につけようとしているかが大切ですから。


個別最適の学びと集団での学び

良いとこどりをしたいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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隠れたカリキュラム

Hidden curriculumは日本語で「隠れたカリキュラム」と言います。 今は、年間のカリキュラムを保護者に公開していますので、教科や行事などはやる時期も内容も分かっています。 型は示されていると言えます。 しかし、教師の教える内容よりも大きな力を持っているのが、教師の姿そ...