一昨日、長嶋茂雄さんが鬼籍に入られました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
次々に一世を風靡した人が亡くなっていかれると、自分の船も近い気がします。
このニュースに際し、友人から
「俺の子どもの頃は、背番号3の寝巻き(今で言うパジャマ)だったけん。」
「家族みんなで見ていた野球中継では、長嶋が必ず打っとたばい。」
と皆タイムマシンに乗って昔に戻った感じでした。
熊本の天草で教員をしていた友人は、長縄のギネス記録を達成した時に
長嶋監督から激励の言葉と色紙を頂いたそうです。
その時、「ギネス記録達成おめでとう 長嶋茂雄」の色紙とともに
「先生って素晴らしいですね。」
と励ましの言葉を頂いたことが一生の宝だと言っていました。
今から考えれば、家庭1台のテレビでチャンネルも少ない時代は恵まれてはいなかった。
ただ、家族全員で喝采したり、ガッカリしたりする時間を持てたのは豊かだったのかもしれません。
プロ野球中継のために家族の食事時間が決められ、子どもはさっさと風呂に入らされていました。
つまり、家族のそれぞれが都合を合わせていていたのです。
ところが、スマホの普及で今や画面は1人1台
しかも、見逃し配信やダイジェスト配信があり、別に時間も気にならない。
家庭でも都合を合わせるということ自体が減っている気がします。
早く入れとせかされた時代のお風呂は五右衛門風呂
言うことを聞かないとお湯はぬるくなる
さっさと食べろと言われていた食事
電子レンジがないので冷めてしまう
不便は家族みんなで都合を合わせることで乗り切っていました。
そして、この都合を合わせるということは社会性を育てていたのかもしれません。
自分の都合を優先させるための、相手の都合を100から0にするやり方ではなく
自分も我慢して80にするから、相手にも80で我慢してもらうような社会性がもしかしたら育っていたのかもしれません。
今回のお話はこれで終わります。
冷えたビールをぐっと飲み干す親父、
今と比べると糖度の低かったスイカを頬張るおふくろ
家族みんなが涼めるように扇風機を回し、小さなテレビ画面で活躍する
長嶋茂雄を食い入るように見ていたセピアの世界を思い出しながら
次回をお楽しみに
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