文字となった言葉、新聞でも雑誌でも、レポートでも
初めはとっつきにくいと感じても、何度か読んでいけば分かることも多いのが世の常。
「読書百遍意おのずから通ず」とはよく言ったものです。
理解しようと努力するなら、文字なら読む速さやを自分でコントロールできますし、分からなければ立ち止まって考えながら読み直すことができます。
そういう意味では、読み手が主人公になれる可能性が高いとも言えます。
ところが、人の話というのは百篇も聞けない一発勝負です。
しかも、話の速さは、話し手次第であり、聞き手にはコントロールできません。
ですから、相当な集中力や理解力が求められるのは当たり前です。
しかも、情報量は、文字の数百倍。
データ量としては、文字ならキロバイトなのに対して、音声データならメガバイトの世界。
SNSでの文字のやり取りならデータ容量を気にしなくてもよいのに音声や動画は容量に気をを使うことからも分かります。
なぜなら、音声にはリズム、音量、音質、ピッチ、間合いなど、その要素は多様です。
文字なら出筆者名を変えて盗作も可能ですが、よほどの物まね名人でないと音声のコピーは非常に難しい。
原稿が全く同じものでも読み手の声で全く伝わり方が違います。
ですから、人の話を一発で理解するのは、きわめて至難の業なのです。
それなのに大人(私)は
「何回言えば分かるんだ!」
と言ってしまいがちです。
それは、とても高度なこと
国語の聞き取りのテストでは、、皆を静かにさせ、音声に集中させたうえで、メモを取らせながらやるくらい緊張を伴うことなのですから。
ザワザワの状態で先生の話が伝わらないのは当たり前だと言えます。
人の話は、案外小声でのつぶやきが心にしみます。
ですから、
「私は地声が大きいから、マイクは必要ありません。」
と言って、大声で指示を出す先生がいますが、その先生の頑張りほど中身は伝わらないのが常です。
研修も同じ。
講師を務めることが多い私も、受講者数が多くなくてもマイクを使いたのはそのためです。
ですから、当センターが進めている「よのなか教室」でも、話が入っていく雰囲気づくりを大切にしたいと考えています。
折角なら、学んだことが身に入っていくものにしたいですからね。
スクラップラーニング(学んだつもりでも、結局は学んだことがすぐに失われ、時間だけが浪費されてしまう学び)は避けなければなりません。
今回はこれで終わります。
次回をお楽しみ。
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