教科書が紙からデジタルになろうとも、変わらないのは文字を読むという行為。
特に教科書は、日本語のよさが詰まった教材が系統的に対置されているので、それらをしっかり読み込めば、理解力が高まります。
言葉の理解力が高まれば、人の気持ちの理解も進みます。
言葉の数が増えることで、様々な感情を理解し、表現できることになりますから。
小さな子が自分の感情をうまく伝える言葉がなくて反抗期を迎えたり、小中学生が心体の変化に戸惑って、心の中を上手に表せずに反抗することからも、言葉の大切さが分かります。
ところで、学校の教科書
何度も読むのって大変ではないですか?
でも、それはとても意味のあることです。
一回しか読まないというのは、川に例えるなら上流に向かう作業
速さや深さを変えながら流れてくる水(作者の思い)、コケそうな川底の石(難解な言葉)を体に受け止めながらの川登りと同じです。
やっと上流にたどり着いたとして、もうヘトヘト
その状態で、その川の様子が全て分かる訳ではありません。
それに比べて何回も読むというのは、上ったり下ったりしながらの作業
下りながら岩場を確認したり、もう一度登りながら足場の悪いところや流れの速いところを慎重に進む作業です。
ですから、読めば読むほどストレスが少なくなっていき、はじめは気づかなかった言葉にも気づくこともあるのです。
興味のないものを何度も読むのは大変ですが、国語の教科書は、選ばれた内容のものが詰まっていますから、何度も読めば結構味わえます。
はじめは硬くて歯が捥げそうなスルメも、何度も噛んでいけば、そのうち口の中で柔らかくなって味わせるのと同じです。
本センターが進めているよのなか教室も同じです。
その前後での取組で、理解できるか、味わえるかが違ってくるものだと考えています。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに
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