極限まで自分を追い詰めてオリンピックの舞台に立つアスリートたち。
最後に彼らに戦うエネルギーを与えているのは応援の力ではないでしょうか。
フランスの国旗や国歌に埋め尽くされた会場の声援が、フランス選手を
熱くさせている映像を見ると、そう思ってしまうのです。
しかし、そう考えると、自国開催にもかかわらず無観客だった東京オリンピックの選手たちは一人ぼっちの戦いをしたのではないかと今更ながらに思ってしまいます。
TVでの声援は選手には聞こえないですから
応援なしの戦いは辛かっただろうなと。
昔、宮崎県西臼杵郡日之影の僻地の小学校に勤務していた私は
地域の方の推薦(強制)により、町の地区対抗駅伝大会に出場しました。
もちろん、ぶっつけ本番では他のメンバーに迷惑をかけますから
本番まで学校近くの山道で毎日のように練習をして備えました。
迎えた本番
第2集団的な位置でタスキを受け取り、全力で走りました。
ところが急坂コースですから、すぐに体力は奪われ
青息吐息の状態に。
「あの角を回ったら、中継点だ」と勝手に想像しては裏切られ
曲がりくねった道がまた現れるといったことを繰り返し、
気分は絶望的でした。
そんな中、私に力を注入してくれたのは
沿道の応援
その中には知り合いの顔もありましたが、多くは見知らぬ人々
知り合いであってもなくてもそれらの応援は、何とか頑張ろうと思う力を沸き上がらせました。
応援なしでは、いったん立ち止まり、休憩したかもしれません。
(応援してくれている人の前だと少しはカッコつけたくもなりますから。)
応援は、本当に力をもらえます。
しかし、考えようによっては、応援している方も力をもらえているのかもしれません。
プロ野球でも、プロサッカーでも、もちろんオリンピックでも
懸命に応援したサポーターが口々に
「元気をもらった」とか「勇気をもらった」
と言っていますから。
そういえば
東日本大震災の時、臨時の避難所で悲嘆に暮れていた人々の中で、元気になった人となかなか元気を取り戻せない人がいたと聞きました。
元気になった人は、次々に届く救援物資の仕分けをしたり、炊き出しをしたりした側。
つまり、応援する側でした。
日向市では、「日向の大人はみな子供たちの先生」
を合言葉に子供たちを応援しています。
応援している大人たちに元気を与えるものになってほしいと願うばかりです。
今回のお話はここで終わります。
次回をお楽しみに。
前回のお話はこちら
https://careerhyuga.blogspot.com/2024/08/blog-post_4.html
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