型にはめてばかりの教育は、息が詰まる。
もっともなお話です。
ですが、この「型」がないと実は困ることがたくさんあります。
最近、テレビ番組で俳句を扱っているものを見ましたが、
あれなどは、まさに型があるから楽しめる文化です。
五七五の型が決まっていて、そこに季語などのルールがあって成り立っています。
型がなければ、工夫の幅が狭まりそうです。
小中学校で、作文が嫌いな子が一定数います。
一番困るのは
「自由に何でも書いていいよ。」
の指示。
たいていの子は、何を書いていいのかが分からず、お手上げ状態になってしまいます。
ところが、一定の型を示せば、案外簡単に書いていけます。
例えば、題材を「大好きな給食」と限定します。
始めは、美味しさが伝わる会話文で始めるとか
途中は、好きな理由やそのメニューのエピソードなど3つのことから説明する。
終わりは、作ってくださる方への感謝やリクエストにする
かなり、型にはめましたが、かえって発想が自由になり、想像の世界に入れます。
水泳の自由形も結局は手はクロールだし、足はバタ足
自由と言いながらも、その型の中で自由に泳ぐだけです。
つまり、ビートを変えたり、キックや呼吸回数を増減したり、
型の中で工夫しています。
千利休も守破離と言っています。
まずは徹底的に型を真似て覚え、そこを離れて他のことも試し、最後は自分の型を
完成させていくことが大切だと。
今、本市で進めているキャリア教育も一定の型にいったん落とし込み
そこに工夫を加え、独自のものを作っていけたら考えています。
今回のお話はここまでにします。
次回をお楽しみに
次回はこちら
https://careerhyuga.blogspot.com/2024/09/blog-post_18.html
前回のお話はこちら
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