どうしても歳を重ねると、話題が過去のことばかりになりがちなのは世の常ですが、
聞かされる側からすると
「その話は、もう5回は聞いた。しかし、話の腰を折るのもなあ。」
と逃げ道を失ってしまいます。
ところが、話す方は、毎回初めて話しているつもりなので、表情や声色、時にはジェスチャーも交えながら、とても生き生きしています。
聞かされる方としては、
「そろそろオチの場面だな。」
と展開まで読めて、冷めていくのですから皮肉なもんです。
仕事を離れ、社会的なつながりも無くなっていくと、漠然とした未来よりも、過去の記憶の方が鮮明で話しやすいのでしょう。
ただ、未来の話ができなくなるのは寂しい気もします。
しかし、年をとっても、未来を考える手掛かりがあります。
その一つは、自然の変化です。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
人の入れ替わりはあっても、花は咲き時を忘れず、季節を教えてくれます。
花を見る楽しみは、未来にたどりつく喜びなのかもしれません。
ですから、桜の開花予想が堂々とニュースとして成り立つのでしょう。
私の先輩方には、家庭菜園を楽しみにされている方が多いのですが、
これまた、未来を楽しむ方法の一つだと思うのです。
では、小中学校で、未来を具体的に考えさせる教育は十分でしょうか?
収穫を楽しみにしない農作業
未来と結びつかない学習
どちらも、なかなかやる気が出ませんよね。
努力して「実り」を得られる結末を迎えた時、「成果」を得ます。
単なる結果ではなく、未来の実りを迎える成果を考えた教育を進めたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿