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2025年4月13日日曜日

未来を考える楽しさ

 どうしても歳を重ねると、話題が過去のことばかりになりがちなのは世の常ですが、

聞かされる側からすると

「その話は、もう5回は聞いた。しかし、話の腰を折るのもなあ。」

と逃げ道を失ってしまいます。

ところが、話す方は、毎回初めて話しているつもりなので、表情や声色、時にはジェスチャーも交えながら、とても生き生きしています。

聞かされる方としては、

「そろそろオチの場面だな。」

と展開まで読めて、冷めていくのですから皮肉なもんです。


仕事を離れ、社会的なつながりも無くなっていくと、漠然とした未来よりも、過去の記憶の方が鮮明で話しやすいのでしょう。

ただ、未来の話ができなくなるのは寂しい気もします。


しかし、年をとっても、未来を考える手掛かりがあります。

その一つは、自然の変化です。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」

人の入れ替わりはあっても、花は咲き時を忘れず、季節を教えてくれます。

花を見る楽しみは、未来にたどりつく喜びなのかもしれません。


ですから、桜の開花予想が堂々とニュースとして成り立つのでしょう。


私の先輩方には、家庭菜園を楽しみにされている方が多いのですが、

これまた、未来を楽しむ方法の一つだと思うのです。


では、小中学校で、未来を具体的に考えさせる教育は十分でしょうか?

収穫を楽しみにしない農作業

未来と結びつかない学習

どちらも、なかなかやる気が出ませんよね。


努力して「実り」を得られる結末を迎えた時、「成果」を得ます。

単なる結果ではなく、未来の実りを迎える成果を考えた教育を進めたいものです。

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