江戸末期、浦賀に突然現れた黒船
船全体が黒いタールで塗られた蒸気で動く海の城
江戸湾は大騒ぎでした。
それまでに来ていた欧船とは構える砲門の大きさも数も全く違う威容
しかも、幕府からの停戦命令を無視し、湾内深くに入り込み船からの測量を始める始末
幕府の下級官僚に鎖国しているから出て行ってくれと言われても知らぬ顔
幕閣との交渉を要求します。
その時に日本各地の藩から偵察が派遣されました。
国の一大事になると、皆が考えてのことです。
そして、その様子を見た斥候たちは自分の藩に急いで戻りました。
宮崎県は小藩が多いのですが、多くの藩は、方針を決められず、戦うことから200年以上遠ざかっていた武士たちへ
「武具を整えよ」
と伝えるのがやっと。
産業革命を終え、蒸気船に加えて射程距離が格段に優れている銃や大砲も持っている相手に、こんな命令がやっとというありさまでした。
そんな中、今の日南市の飫肥藩では、その情報で、
「日本は開国すべきかどうか」
を喧々諤々話し合います。
もともと木材などの商取引などで上方の情報も多く集まっていましたし、
島津や伊東と言った強い藩への備えなど緊張感を持った藩の経営をしていたからなのでしょう。
その話し合いのレベルはまさにお見事
後の外務大臣小村寿太郎が生まれたのもただの偶然ではないでしょう。
もちろん彼を育てた飫肥藩の振徳堂、そして今の東大に推挙した指導陣あってのことです。
我が町日向市も、令和の今
そんな土壌を作りたいものです。
今回のお話はこれで終わります。
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