三大権利は、教育、生存、参政
このどちらにも入っているのが、「教育」
義務の教育は、保護者がその子供の教育を受けさせる義務です。
ところが、明治期に導入された学制では、反対一揆が起こるほどでした。
明治の後半になって、義務教育が無償化されてからは、就学率も上がりましたが、
最初の頃は、国民の理解をなかなか得られませんでした。
主な理由は
・学ぶ内容が、現実社会で本当に役立つものか疑わしい
・学校の建設費は地元負担、授業料は保護者負担
・大切な働き手でもある子どもが奪われる。
などなど
その時代からすると、今は高校授業料や義務教育での給食無償化の動きまでありますから、
隔世の感があります。
ただ、「学ぶ内容が現実社会で役立つかが疑わしい」というのは、今もあるのかも?
昨年から、様々な大人に
「学校で学んだことは、何割くらい役立っていますか?」
と問うたところ、多くの人が、2.3割と答えたのです。
もし、今、学んでいる生徒も、教えている先生もそんな意識なら寂しいものです。
せめて、今学んでいることが未来に役立つものだと思えるものにしていきたいものです。
そのためにキャリア教育が大切です。
さて、学ぶ権利の視点で見ると
一人一人の学ぶ権利は保証されなければなりません。
つまり、自由や自主性を勘違いした一部の生徒の奔放な行動が、誠実でやるべきことをちゃんとやれている生徒の学びを阻害していたとしたら、強く戒める必要があります。
国民に与えられている権利の侵害ですからね。
中学生の部活動の大会でよく見る風景ですが、離合集散が早く、メリハリのある行動できるチームは強いです。
自主性と規律の塩梅は、いつの時代も課題です。
ただ、こういったことを議論しながらコミュニティスクールとして改革を進めていくことは大切だと思います。
どうしても2,3年で替わる宮崎県の校長の任期では
じっくりやろうとすると時間切れ
勢いよくやろうとする協力者を得られない
そんなジレンマを抱えてしまいますから。
みんなで子供たちの学びを考えたいものです。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに
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