最近は、OpenAIを使って、業務の効率化を図っています。
これまでに比べて、アンケートの集約や図式化は驚くほど簡単に済ませられるようになりましたし、しかも見栄えもいいものができます。
しかも、Canvaを使えば、出来上がったものに、いちゃもんをつければ、私のイメージに近づいた資料ができあがるし、違う提案までしてくれます。
めちゃくちゃ有能な助手を一人抱えている感じです。
しかも、疲れは知らないし、卑屈にもならない優等生です。
ただ、すぐに答えが出るというのを子供時代から味わい過ぎるのはどうでしょうか?
浅田次郎の「見果てぬ花」の一説に
「デブ」の語源で盛り上がった話が出ていました。(デブは決して人に対しては言ってはいけない言葉であることが前提で)
development(進歩、成長)の略語説を唱える浅田氏
「でっぷりと肥えた」など江戸時代の表現を引き継いでいると話す編集者
double chin(二十あご)だろうと主張する人
「出不精」を略しているのだいう人
が結論の出ない話を繰り広げたというのです。
多分、AIに聞けば瞬時に、語源やその言葉の歴史的変遷も分かるでしょう。
しかし、こういった一気に結論にたどり着く価値観だけを大切にすると、教養の楽しさが奪われてしまうのかもしれません。
答えを導き出すための教養を楽しむ文化こそ、豊かさなのかもしれません。
広くて深い教養を身につけずに、一気に結論にたどりつくAIは効率化、省力化をもたらしますが、奪うものも多い気がするのは私だけでしょうか?
上手にAIと付き合いたいものですね。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに
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