前回、「天領うどん」でのよのなか教室で、浸透圧のお話をしました。
そこで、思い出したのです。
以前、郷土の刀匠 松葉景正さんの鍛刀場を見学させて頂いた時のことを。
当時の校長をしていた私は、どうしても国語や数学などの成績にばかり目が行きがちな教員の見方を広げてもらいたくて、様々な工房で職員の研修をさせて頂きました。
大人になって
「俺って数学が得意だ。」
だけよりも、サックスを演奏したり、美味しい料理が作れたり、手作りの木工品などを趣味にしたり、絵画や写真に詳しい人の方が豊かだと感じていたからです。
ですから、職員には、踊り、木工職人、お茶などを生業とする方々の価値観を体験してもらいました。
つまり、国算社理よりも、図工、家庭科、音楽、体育に目を向けてもらったのです。
その一つが、松葉さんに鍛刀場だったのです。
鋼を鍛えるのは、思った以上に熱と力の仕事でした。
それなのに、出来上がる刀の繊細さ、波紋の美しさ、そして冷徹さは見事でした。
しかし、私が驚いたのはその芸術を支える知識でした。
もちろん、芸術は感性の部分が大きいのでしょうが、鋼を鍛える時に金属学的な知識は不可欠だというのです。
硬いだけでは脆いし、柔らかすぎてもだめ、純度を高めるためには1200度もの高温で何度も鍛えないといけないし、酸素管理、冷やし方も簡単ではない。
古来から伝わる秘伝というのは、案外、金属学なのかもしれません。
ですから、理科を学ばないといけない。
さらに、世界各国での作品展ともなれば英語での説明も必要。
学校での学びは、刀工にも繋がっていると感じたのです。
学校の学びは社会とつながっている。
これからも伝えたいと思っています。
今回のお話はここで終わります。
次回をお楽しみに。
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