ずいぶん昔の話ですが、山間へき地に勤務した時、その学校の子供たちの使う言葉に驚いたことがあります。
それは、小学校の低学年であっても、敬語が使えるということでした。
もちろん、相手に対して尊敬語を使うか、自分が一歩引くような謙譲語を使うかの区別はできてはいませんでしたが、ちゃんと敬語を意識していることが伝わってきました。
「先生、~してもいいですか?」
「はい、~をしたいです。」
先生に対して、ただの単語で答えるでもなく、友達言葉でもない。
しっかりと敬語を使うことが当たり前の文化が継承されていました。
敬語を使うということは、目の前の相手を大切に思っていることを表します
子どもは大人を敬い、慕う
大人は子供を慈しみ、育てる
というのを「長幼の序」と言いますが、それも感じたのです。
もちろん、上下の関係でなく、伴走するための横並びの関係は大切です。
しかし、言葉が心を表すとするならば、我が国の大切な文化はなくしたくないものです。
心は見えないけれど、心遣いは見えるもの
その一つは敬語かもしれません。
ところで、本年度、市内の数校からビジネスマナーについての講座依頼を受けて対応しました。
その際に、教師の言葉遣いもテーマにしました。
教師も立派な社会人
大人としての言葉遣いを見直すことは大切なことでしょう。
3月は別れの時でもあります。
互いを思いやる言葉を交わし、一歩踏み出してほしいものです。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに。
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