小中学校で、外国人ALT教師が子どもたちに向かって
「What day is it today?](今日は何曜日ですか?)
と聞くと、ほぼ全員で、元気よく、はっきりと
「Monday」(月曜日)
と答えます。
ところが、個人に答えさせると、たちまち子どもの緊張感が爆上がりします。
さっきまで、ニコニコで元気よく答えていたA君に、
「What day is it today?](今日は何曜日ですか?)
と聞くと、いきなりモジモジが始まり、隣の子に小さな声で
「Monday でいいかね?」と確かめ
小さな自信のない声で
「Mondy」と答える始末。
中には、黙って答えられない子もいます。
これは、英語の力というよりも表現する心が育っていないのかもしれません。
だいたい、日本人の話し合いは、主だった人が意見を言って、最後に年長者が決定する構造です。
そして、決定後に、
「本当は、違うと思うけれど…」
といった会話が聞こえてくる中途半端さがあることは否めません。
その意味では、大人も、一人になると声が小さくなっています。
ところが、この声の小ささは、国際社会では通じません。
日本の国技の柔道も、いつの間にかポイント制になり、道着に色が付き、袖は小さくなって掴みにくくなっています。
おかげで、外国人選手が力づくで日本人選手を場外に押し込んでポイントを稼いだり、
袖をつかませず、組手そのものを成り立たなくして、組んで技を仕掛ける醍醐味は薄れました。
まさか、国際会議において小さい声で発言し、決まった後に不満を言ってはいないでしょうが、相手が気づいてくれるのを待つ日本の文化が邪魔をしている気がします。
スキーのジャンプ競技は、体格の小さな日本人にとって、板の長さを生かせる得意競技だったのに、今は身長や体重に応じて板の長さが厳格に規制されています。
選手が過度な体重制限に走らないように選手を守るルールとも取れますが、
そもそも骨格や筋肉の付き方も違う中、そのルールそのものに意見はなかったのか疑問に思います。
これからの時代、子どもも大人もしっかり想いを表現することは大切なはずです。
そういえば、学校でのいじめをなくすために作られた
「I have a voice.」
という歌があります。
その歌詞は
I have a voice, simple and clear
It speaks the truth, for all to hear
It gives me hope, it gives me faith
It lifts me up, it keeps me safe
I have a voice, it's mine alone
It comforts me, it is my own
Although it's small, I'm not afraid
For I am strong in it's embrace
No one can say, what I have seen
Or understand where I have been
For what I found inside myself, belongs to me and no one else
If I were blind and had no eyes to see, still I would hear that voice inside of me
I wish that you (I wish that you)
Could hear it too
あなたが思っていることを声に出そう。
それがあなたに希望や誇りや安らぎを与える
小さなことでもいい、怖がらずに、強くあろう。
誰もあなたの心の中を見れないのだから自分の奥底の声に耳を傾けよう。
まずは、思いを言葉にすること
これからの未来を生きる子どもたちに大切にしてほしいものです。
今回のお話はこれで終わります。
次回をお楽しみに。
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