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2025年4月2日水曜日

新しいNOTE

新しい学年になると真っ白のノートに学びの跡が記されていきます。

今回は、学校でのノートについて考えてみましょう。


このトピックにした理由は、企業採用時、新卒学生の記録スキルのなさが話題になっているからです。

もちろん、スマホの写真機能を使えば、説明資料の保存はできますが、内容理解は遠いかもしれません。

その意味では、要点をメモする力は大切でしょう。

それにしても、小学校1年生から、毎日授業を何時間も受けて、黒板に書かれたものをノートしてきたのに、メモする力がないとは恥ずかしい限りです。

もしかしたら、子ども達にとっては、ノートの目的が、要点を整理することではなく、何も考えずに素早く黒板のものを写すことになっていたのかもしれません。

写すだけなら、そのほとんどは教科書にもっと詳しく書かれていますから、苦労の割には学びの効果は薄いという残念な結果を招きます。


昔、NHKの番組で、何も考えずに板書をノートに写したグループと自分で大切と思うことを考えてノートしたグループに、予告なしのテストをした実験がありました。

結果は、前者の平均点は20点、後者は60点。

その差はなんと3倍。

前者は受け身で思考が成立せず、

後者は前向きの思考が課されていますから、当然と言えば当然です。


今や大学では、黒板は使われず講義のPDFが学生に送られる時代です。

ノートを写す時代は終わっています。

新学期になって、ノートの取り方を工夫するのも一つの手でしょう。



日向市のキャリア教育では、ノートに考えやヒラメキを入れたりする力の大切さをよのなか先生に語ってほしいものだと考えています。

メモを取れる力が、子どもたちの次の世の中に繋がることを信じて


今回のお話はここで終わります

次回をお楽しみに

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2025年4月1日火曜日

新学期の買い物

新年度になると、学校では新しい教科書と副教材と呼ばれるドリルや資料集が準備されます。

中学校までは「義務」教育ですから、教科書は無償ですが、残念ながら副教材は有償です。

その有償の物を採用するかどうかは各学校に任されており、学校によってその金額が異なります。

お子さんの沢山いるご家庭にとっては、毎月結構な金額を請求されてしまいます。


しかし、この副教材は、少し立ち止まって考える必要がある気がします。

学習内容の徹底した習得のために、問題集や学習プリントは効果的ではあります。

しかし、購入後の利用状況を考えると曖昧さを感じます。


普通、買い物は購入者が気に入って買います。

ユニクロだって、コーチの財布だってそうです。

ところが、学校で買わせる問題集や資料集は、教師が目的を持って「買わせた」ものですから、普通の買い物とは全く意味が違います。

なにしろ、児童・生徒や保護者にとっては、「買いたい」と思って買ったものではなく、「買いなさい」と言われて買ったものですから。

自分で選ぶ時、サイズや色味があってなかったら、違うものに交換します。

ところが、副教材は、そういきません。購入者の気持ちは置き去りにされてしまいます。

使うかどうか怪しい物にお金を払わされたら誰だっていい気持ちはしません。

最近のネットショッピングでは、気に入らなければ返品まで受け付けていますからね。


ですから、「学校で使うものだから」という大義名分を振りかざし、使わなかったのは子供の努力不足だと決めつけるのは、時代錯誤でしょう。

本センターのスタッフに聞いても、

「学校時代の教材は無駄が多かった。」「使いもしない辞書を大量に買わされた。」

と思い出を吐露してくれます。


この時代、副教材や辞書が使われずにきれいなままというのは許されません。


だからこそ、「買ってよかった」という満足感を使用する子供たちやお金を払ってくださる保護者に感じてもらうことが大切だと思うのです。


それが、あるる意味コンプライアンスを大切にしているとも考えます。


製造業では、「者に聞くな 物に聞け」という言葉が大切にされているとか

人の説明よりも出来上がった製品を見た方が仕事の丁寧さや工夫が実感できるという意味なのでしょう。


となれば、買わせた副教材が1年後にしっかり使い込まれていて、その様子から

「なるほど、この副教材を買ってよかった。」

と思わせる学校の努力が必要だともいえます。


その意味では、使い倒された副教材という「もの」を見せるところまでが、学校の責任です。

副教材選びは簡単ではないのです。


商取引の常識に疎い教員も、意識を変えるだけでサービスが違ってくるかもしれません。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月31日月曜日

「いってらっしゃい」と「ただいま」

新年度が始まりますね。

4月は進学や就職で生活が一変しますから、元日とは違う1年の始まりに緊張感も走ります。

学校では、4月2日生まれから翌年の4月1日生まれを同じ学年にします。

今年で言うなら、令和7年4月2日生まれから令和8年4月1日までが同じ学年

なんだか変ですよね。

しかし、これは法律で誕生日前日の24時に満年齢を迎えるとされているからです。

そうなると、令和7年4月1日生まれの人は、令和8年3月31日の24時に満1歳になります。

この考え方で行くと、閏年の2月29日生まれの人も毎年、2月28日に年を取ることができるのです。


明治時代に始まった4月はじまりの年度

年貢米から税を計算していた頃は、収穫米が納められる10月くらいの時代もあったとか

米不足の今の日本では、考えられませんね。


さて、講釈はここまでにし、

新年度も家庭や学校、会社での挨拶を大切にしたいものです。

以前、奥様をご病気で亡くされた方が、こんなことを仰っていました。

「どんなに仲がよくても、生活をしていれば、意見の合わないこともあるし、喧嘩にもなります。しかし、朝、喧嘩をして、『行ってらっしゃい』も言わずに送り出したら、あるいは送り出されたら、それが、生きているその人との最後のコミュニケーションになることだってあります。だからこそ、大切な人を送るときは、笑顔で言ってらっしゃいと言って送らないと後悔することになります。」

確かにその通りだなあと思ったのです。

 忙しい中で生活をしていると、家族への言葉かけも十分ではありません。明日もあると思って接しているからでしょう。

反省させられる示唆でした。

 学校ではどうでしょう。

 先生方は、下校する子ども達に笑顔で「さようなら」と言っているでしょうか。

注意のオンパレードで子ども達に下を向かせていないでしょうか。

 「いってきます」も「さようなら」も、笑顔の交換なら最高です。

家庭でも学校、会社でも、その笑顔や声かけが、大人の責任かもしれません。

そんな4月の始まりを迎えたいものです。

今回のお話はここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年3月26日水曜日

書くことが苦手?

話し言葉と書き言葉が同じ英語と違って、日本語は明らかに言文が異なります。

話し言葉で、文章を書くと、何だか中身を薄く感じてしまうのはそのためでしょう。

逆に書き言葉で書かれたものをそのまま読み上げると、少し仰々しくなります。

言文不一致ですから大人になっても「書く」ことはなかなかハードルの高いものかもしれません。


しかし、困ったことに大人になっても、いろいろな機会に「書く」ことが求められます。

だからこそ、子どものうちにどう鍛えたらいいのか考えてみましょう。


「書く」から想像できる小中学生の活動と言えば、作文

得意だった記憶の人は少ないのでは?

何しろ、「思った通り書きなさい」と言われても、何を書いていいか分からないのですから。

仮に一つの作文を先生のアドバイスで書き上げたとしても、次もまたゼロからのスタートの場合が多いかもしれません。

なぜなら、書き「型」を習っていないからです。

いったん、型を習えば、後はそこに材料を入れるだけですが、その型が曖昧だと途方に暮れてしまうのは、当然です。


さて、「型」ができ上ると、次は目利きの段階に入ります。

料理人が美味しい料理を作るときに素材にこだわるのと同じです。

書く時も、良い材料集めが大切です。


加えて、料理人が毎日料理を作って腕を磨くのと同じで、書くことも毎日やっていかないと上手くならないから困ったものです。

しかも、出来上がったら、誰かにすぐに食べて(読んで)もらいたい。

料理がアツアツのうちに味わってもらって、感想をもらえればうれしいのと同じで

作文も、できるだけその日に読んでもらって感想がもらえれば次の作文を書くエネルギーになります。


ですから、この春休みに日記を書くお子さんがいる保護者さんは、アツアツのうちに読んで感想を伝えてみてはいかがでしょうか?



本年度のブログはいったん今日で終わります。

いつもアツアツを読んで頂き有難うございました。

では、次回をお楽しみに

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2025年3月25日火曜日

馬耳東風

本日、日向市の小中学校では修了式を迎えました。

日本の四季は、変化に富んだ美しさがありますが、寒暖や風雨で人を鍛える側面もあります。

そんな日常を乗り越えて、修了式まで辿り着いた子供たちに拍手です。


さて、修了式を終えた子供たちの耳は確かに鍛えられたでしょうか?

まさか馬の耳になっていませんよね。


学校での馬の耳訓練は、学校放送で培われている笑えない側面があるかもしれません。

わざわざ、チャイムを入れて学校中を静かにさせておいて、特定の人にしか関係のない情報を放送し、静かに聞いていない子供たちを指導するのは、どうでしょう。

本来、放送はそこにいる大部分の人に関係があることか、緊急時に知らせたかったり、協力をお願いしたりすることに限定したいものです。


それなのに、自分に関係ない連絡を、自分の活動を止めてまで聞くことを強いられなら、聞いているふりをしなければなりません。

時々、学校放送を頻繁に使うツワモノ教師がいますが、これって意味があるでしょうか?

関係者にだけ伝わるように工夫すれば、解決できる問題です。


学校での指導が

「静かに放送を聞きなさい!」(あなたに関係なくても)

「ちゃんと最後まで放送を聞きなさい」(あなたに関係ないのは知っているけど)

を続けると、子供の耳は馬の耳に大変身するかもしれません。


つまり、学校での放送を聞く訓練とは、放送の内容を理解することではなく、静かに放送が終わるのを叱られずに待つものになってしまうのです。


聞き上手というのは、意見が違っていたとしても相手の言い分を正確に理解することです。

しかし、馬の耳訓練を続けていくと、入ってくる音をBGMにし、とりあえず話し終えるのを静かに待つ耳が育つのでは、心配になります。

現在、日向市は午後3時

何と風向きは「東」


修了式で校長先生や担任の先生から聞いたお話が馬耳東風になりませんように!


今日のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月24日月曜日

美しく縫うための「しつけ」

小学校家庭科では、エプロンや小物入れの袋を作ります。

特にエプロンは、使う布の面積が大きいので、いったんマチ針や仕付け糸で、布の折り目をハッキリさせたり、二つの布を上手に重ねたりします。

本当なら、しつけなしでどんどんミシンをかけて縫い進めたいところですが、丁寧なしつけをサボると、ズレたり、よれたりして作品が台無しになることがあります。

これは、教育でも同じことが言えるかもしれません。

基本のしつけができてこそ、個性あふれる作品が仕上がるのと同じように

躾(しつけ)ができてこそ、個性が花開くのだと思います。


ところで、「躾」というと型ぐるしく感じるかもしれませんが、

良い躾は、繰り返し繰り返し同じことをしているうちに習慣になり、当然になる教えです。

歯磨きだって、朝の洗面だって、そのうちにやっていないと落ち着かなくなるもの

最終的には、ごく自然にできる人としての品(しな)になるものです。


何かと話題の絶えない大阪万博で、諸外国からの来賓を迎えるキャストをされる方は、立ち居振る舞い、言葉遣いまで、日常も含めて繰り返し、意識し訓練しているそうです。

それらの所作が自然にできるようになると、それを超えたしなやかなその人らしい対応も期待できそうです。


個性を育むためにも、基本となる躾は無視できません。


ゲルニカで有名なピカソだって、徹底的に美術教師の父親にデッサン力を磨いてもらい、あのキュビズムに入っていったのですから


では、その躾け、何から始めましょうか?

これからの時代、コミュニケーション能力が大切だと言われ続けているのですから

曖昧になりがちな言葉の躾を見直すのはどうでしょう?


学校でも家庭でも言葉の躾を行い、美しく言葉を縫えるようになってほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月23日日曜日

縦に読む、書く

ネットニュースを含め、WEB上の情報は横書きの文字で溢れています。

縦書きを目にするのは、新聞と小説くらいのものでしょう。

昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の紫式部が、現代に生きていたらビックリでしょうね。

千年も前から縦書きの文化だったのですから

もっとさかのぼれば、熊本県の玉名市江田船山古墳から出土した太刀に刻まれていた文字も縦書きですから、明治以降の横書き文化は一気に縦書きを侵食したかもしれません。

タイプライターでは、誰でも美しい文字が印字できますから、日本人が飛びついたのも頷けます。

しかし、文字数の少ないアルファベットではなく、文字数や種類の多い和文では相当苦労したはずです。

ところが、技術を高めて、和文タイプライター、ワープロ、パソコンと簡便なものを作り上げ、ついには便利な横文字文化の隆盛です。

横書きなら、コピペもレイアウトも簡単ですからね。



しかし、縦書きにも味があります。

今週は小学校の卒業式ですが、式辞などは蛇腹状に折り目を付けて読み進める方が便利です。

折り目は横でなく、縦の方が両手の構えも落ち着きます。


我が町は、若山牧水生誕の地ですが、牧水の歌碑で横書きの物を見たことがありません。

縦書きの方が、使う言葉の順番に意味が出てくるように感じます。


縦書きにもよさがある。


新聞を家庭で購読している数も減っている現代、丁寧に縦に読み、書く経験も大切にしたいものです。


この横書きのブログを書いている私が言うのも何だか矛盾しますが・・・。

最近、横でもないし、縦でもなく斜めに読んでいる私の反省です。


今回はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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新しいNOTE

新しい学年になると真っ白のノートに学びの跡が記されていきます。 今回は、学校でのノートについて考えてみましょう。 このトピックにした理由は、企業採用時、新卒学生の記録スキルのなさが話題になっているからです。 もちろん、スマホの写真機能を使えば、説明資料の保存はできますが、内容理解...