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2025年3月17日月曜日

卒業式のお祝いの言葉って生かせないでしょうか?

これまでに何度も卒業式に出てきました。

学生の立場、教師の立場、教育委員会の立場、保護者の立場で

その数は、50回前後にもなります。

その中で、心に残る話を何度も聞いたはずですが、意外と残っていません。

勿体ない話です。


もちろん、いい話だなあと思うこともあったのですが、こうも忘れているとなると

我が身の記憶力のなさを嘆いてしまいます。

どうも自分自身の話を聞く姿勢が良くなかったようです。


一方、弁解になりますが、これは私に限った話ではないと思うのです。

一般的に卒業式の厳粛な雰囲気の中、来賓の登場に合わせて立ったり、座ったり、礼をしたりの練習は何度も行われます。

しかし、聞いた話を自分の今後に生かすかの訓練は受けていません。

ましてや、畏(かしこ)まった儀礼的な話を延々と棒読みされたら、聞き手は時間が過ぎるのだけを待つ癖がついてしまうかもしれません。

卒業生に話を伝えるなら、短く簡潔に伝えるか、別の時間を取って詳しく伝える方が良いのではないでしょうか?


短く簡潔が良いと思ったのは息子との会話からでした。

息子が帰宅し

「今日の校長先生の話はよかった」

と言ったので、参考にしようと思って

「どんな話だった?」

と尋ねると

「短くてよかった。いつも長くて何を言っているのか分からないから、、、。」


もう一つの時間を取って詳しく伝える方が良いと思う理由は、プリントして渡されたPTA会長や来賓の挨拶がとても考えられていて、深い話だと感じることがあるからです。

だからこそ、卒業式ではなく、「よのなか教室」や学級活動でそのお話をしていただき、それをヒントに今後何すべきを考えさせるような流れも意義深いのではないでしょうか?

卒業式でメモもできないあの状態で詳しい話をしても残らないからです。

キャリア教育を推進している身をしては、そんなことを考えてしまいました。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月13日木曜日

勤を以て拙を補う

 お米の値段が上がって、令和の米騒動が続いていますが、備蓄米の放出で少しは値段が落ち着くのでしょうか?

ただ、お米を作っている農家のことを思うと、ある程度の米価でなければ後継者の育成は難しいと思います。

現状では、自分でお米を作るより、ほかの人の田んぼの畔(あぜ)の草刈りバイトをした方が赤字にはならないといった笑えない話も聞きます。

何とか農家の手取りが増える流れだけは大切にしたいものです。


ところで、私は僻地の学校で米作りを体験したのですが、

本当に大変でした。

まずは、田起こし。

冬の間に固まってしまった田んぼの土を乾かし、空気を送り、栄養を回すための作業です。

とても私一人では無理でしたので、代掻き(しろかき)も含めて、地域の方に手伝ってもらいました。

そして、いよいよ田植え。

子供たちとドロドロになりながら田植えを終えて、これで収穫まで一安心かと思いきや、苗よりも勢いよく育つ雑草を小まめに取らないと大変なことになると脅されました。

しかも、雑草が小さいうちに手を付けないと、何倍も作業が大変になるらしいのです。

また、朝晩の水の管理も大変でした。

サボると冷たい山水が田に流れ続けて育たないし、水を止めたままサボると田は干上がる。

しまいには色んなムシがせっかく伸びていく柔らかい葉をチョキチョキ切ったり、食べたりと次々と難題続出でした。

そんな中、地域の方々は、ゆっくりタバコをくゆらせながら余裕の作業でした。

私と子供たちのチャレンジは、こんなドタバタですから、収穫量はプロの半分程度。

この結果の原因は、圧倒的な技術の差。


そんなことは始めから分かっていたのに、その差を埋める努力を私はしていませんでした。

自分の努力不足を棚に上げ、面倒くさがっていたのですから、必然の結果です。


学校の勉強だって、日頃の仕事だって、同じ

「謹を以て拙を補う」 

技術がなかったのならそれを埋めるために毎日しっかり頑張ることが大切です。


もちろん、効率的な学びや働き方改革は大切

しかし、一方では「謹」が我が身を助けるのだと思うのです。


その両方の価値や魅力を、多くのよのなか先生に語ってもらいたいと考えています。

今回のお話は、これで終わります。

次回をお楽しみ。

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2025年3月10日月曜日

基本から始まる大きな世界

最近は、小学校6年生の学級で話をする機会に多く恵まれました。

一生懸命に考える姿を前にすると、話をする大人として責任を感じました。


少し気になったのが、最近の学生の鉛筆や箸の握り方です。

ジャンケンのグーのような握りで鉛筆を握ってしまうと、自分の書いている文字が見えません。

そうなると、自然に首がたれ、横から手元をのぞき込む姿勢になってしまいます。

いくら「立腰」と声をかけても、姿勢が崩れるのは、鉛筆の握り方が悪いからです。


昔は、箸や鉛筆の握り方は幼少期に躾けられたようですが、今は正しくないが主流の気もします。

しかし、こうなると目も近くなるし、重たい頭を何度も上下させる必要も出てきて、集中力も続きません。

幼少期につけたい手先の巧緻性も期待できません。

さらに、書くことそのものが遅くなるので、皆についていけない場合も・・・。

書くのが遅くて、友達を待たせてしまうことだって・・・。


子供が学校で感じなくてもよいストレスは

案外、鉛筆の握りみたいな基本にもあるのです。


子どもの個性は確かに大切

しかし、ある程度のしつけや訓練がなければ

ただの野生です。


ただの鉛筆の握り方ですが

その基本ができて広がる世界は実は大きいと思うのです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月9日日曜日

確かな情報にアクセスしたい

 その昔、日本の歴史書には「鏡」という文字がついていました。

大鏡、今鏡、水鏡、増鏡

どうしてなのでしょう?

これらは鏡物(かがみもの)と呼ばれ、問答・座談を傍らで観察するという体裁をとっています。

ただ、この「鏡」は別の意味があります。

つまり、正しく映すという意味です。

変な解釈や要約を入れるのではなく、ありのままを残そうとする意味があります。

その意味では、真実を映そうとする先人の思いが伝わります。


キャリア教育を進める上で大切な視点の一つに、課題対応能力があります。

そこで、大切になるのが情報活用の力。

情報の本質を理解し、課題を見つけて、計画を立てるのに役立ちます。


しかし、巷は玉石混交の情報で溢れています。

生成AIなども活躍する世の中ですから、真実を映す「鏡」の情報かどうかは、ますます分からなくなっています。

では、どうやって「鏡」の情報にたどり着けばいいのでしょう。


1つの考え方として、様々な情報を並べてみて、つじつまが合うかどうかを見極めることが大切だと思うのです。

それに、一緒に吟味できる仲間も。


今は、進学や就職の旅立ちの時

「鏡」の情報で、しっかり未来に踏み出してほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月5日水曜日

心と体を支える笑い

 昨年度の日向商工会議所のキャッチフレーズは「笑え!」でした。

世の中、上手くいかないこともあるけれど、下を向いていたって何も変わりません。

「運」の神様は、陰気臭さが嫌いらしく、下向きの人には近寄らないとも言われていますからね。

この「笑え!」には納得です。


ところで、もうすぐ始まる春の選抜野球も「運」に大きく左右される大会です。

ほんの数センチでホームランになったり、ファールになったり、

ファインプレーになったり、エラーになったりしますから。


「運」を引き寄せるには、「明るさ」と「徳」らしく

グラウンドのゴミを拾ったり、トイレ掃除を頑張ったりして、その数センチをラッキー側に傾ける取り組みをよく聞きます。

しかも、元気に明るく、笑顔だったら最高みたいです。


今、財光寺南小学校で私が強調しているのは「仲間づくりの大切さ」

良い笑顔は、周りを和ませますし、前向きな挑戦を後押ししてくれます。

ところが、「悪い笑い」は、場を凍らせ、足を引っ張り、やる気を削ぎます。

彼らには、中学校で大いに良い笑いで過ごしてほしいものです。


話は変わりますが、笑いは心だけではなく体の健康にもよいようです。

薬で体調をコントロールするのも知恵ですが、その場合、徐々に薬への耐性ができて、投薬量が増え、来てほしくない副作用に悩まされることもあるとか。

体調にも良い影響を与える「笑い」には、強さが増しても副作用はありませんから、大いに「笑う」ことは、意味のあることだなと思い出したところです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月3日月曜日

成長の角度

 先週から、日向市立財光寺南小学校6年生のキャリア教育をしております。

6年生3学級に、それぞれ5時間ずつの計15時間。

なかなかハードです。

小学校6年生は大人に変な忖度をしませんから、授業を進める私の方が値踏みされています。

しかし、児童に中学校生活の良いスタートを切ってほしいので、本センタースタッフと懸命に取組んでいます。

良いスタートを切るために

1 目標を決める

  (例:勉強を頑張る)

2 アクションを決める

  (例:分からなかったら先生に質問する。友達と教えあう。毎日勉強する)

3 はじめの一歩を決める

  (例:8時から1時間勉強する)

のような手順で子供たち自身に決めさせています。

誰かに言われた計画なんて始めからやる気が起こるわけはないですから。


こうして決めた目標に向かって、中学校生活の構えの角度を上げさせたいのです。

例えば、毎日1mを中学校生活の1000日で進むとします。

30度の角度で始めた場合と31度の角度で始めた場合で考えてみます。

実は、角度が1度違えば1000日後に届く高さは、24m以上違います。

ジャンプしようが、梯子を使おうが、届かない高さ(差)になります。


キャリア教育で大切にしているのは、構えの角度です。

私たちの取組で、その角度を上げてもらえたらと願っています。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月2日日曜日

高校時代を輝かせる仲間

3月1日に宮崎県立富島高等学校の卒業式に参列いたしました。

高校生の旅立ちのメッセージは、とても心に響き、感動を覚えましたので、紹介します。

彼らの入学はコロナ禍の最中であり、互いの表情も分からない中でスタートでした。

全員がマスクを外すまでに相当な時間がたちました。

一番表情が輝く高校時代に、互いの表情が分からないマスク越しの関係

大人の私たち以上に、互いの表情が気になる高校時代だっただけに、当たり前の今の有難さを実感しているようでした。


もともと日本人は、表情に敏感な民族だと私は思います。

ですから、目の表情が見えないサングラスでは、何だか近寄りがたく感じるのかもと思っています。

ちょっとした口元の表情も同じです。

言葉よりも伝わるニュアンスは、表情に現れることがありますから。


ですから、マスク越しの関係の中よく、友人関係、後輩と先輩の関係を築けたものだと感心しました。

先輩を送る後輩の送辞には

「先輩たちが残してくださった校則の見直しなどのプレゼントに感謝する」

という旨の一節がありました。

さらに

「恩を返すチャンスをください」

の言葉も


送る側のこれらのメッセージの中に、卒業生の確かな歩みが見て取れました。


また、定時制生徒の送辞でも、卒業生の姿に励まされたことが分かりました。

そして、その送辞の中で、美しいアカペラで、卒業生に歌をプレゼントしました。

その声に、何とかメッセージを伝えたいという健気な思いが感じられ、会場は水を打った静けさとなりました。

想いは伝わったのです。


また、全日制・定時制の答辞に、親や友人への感謝とともに

「誇りをもって卒業できる」

の言葉がありました。

その言葉から、卒業生の充実した3年間と、それを支えた先生方や保護者の姿が想像されました。


特に定時制生徒からは、バイトと学業の並行して頑張ってたどり着いた卒業だけに確かな経験と自信をもって未来に旅立つ決意が見て取れました。


感動ついでにもう一つ

卒業生が会場から退場し終わったとき

会場内の在校生から自然発生的に一斉に大きな拍手が沸き上がりました。

まるで、

「ちゃんと卒業生を送り出せてよかったね。」

「さあ、次は自分たちが引っ張っていこう!」

の気持ちが乗っているようでもありました。

その拍手をしている生徒の表情はにこやかで、輝いていてました。


私は卒業式後のあんなに温かい一斉の拍手を経験したことがありません。


富島高校

お見事です。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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お世話になりました。

私事ではございますが、9月末をもって日向市キャリア教育支援センター長を辞任いたします。 着任からちょうど1年半。 その間に発信したブログ記事はおかげさまで250回を超えました。 日々の思いや気づきを綴ってまいりましたので、共感いただけるものもあれば、首をかしげるものもあったか...