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2025年1月30日木曜日

寺迫小6年 ~仕事必要な能力と態度~

昨日は、寺迫小学校で仕事に必要な能力や態度について、子ども達と一緒に考えてみました。

まずは、身近な職業として取り上げたのは「お医者さん」。

「あなたは、とっても気さくで優しいけれど、不器用な外科医と

厳しいけれど確かな腕を持つ外科医では、どちらに自分の命を託しますか?」

の質問に対して、全ての子供たちが後者を選びました。

単に優しいだけでは、命は救えませんからね。(患者側としては優しく腕の良い医師が一番でしょうが)

「では、お医者さんに求めたい能力や態度をチームでいくつか挙げてください。」

と投げかけたところ

・専門的な知識(新しい治療法も含めて、ちゃんと学んでいてほしい)

・素早い判断力(緊急の手術などでは、落ち着いて素早く処置してほしい)

・コミュニケーション力(CTやMRIからのデータだけでなく、患者本人の違和感などを探ってほしい)

など、よく考えられた発言が見られました。


そのあと、地元の製造業に従事する若者のエピソードを提示し、そこから大切だと思える能力や態度を抜き出してもらいました。

次にそれらに順番付けをするグループ学習の中で

その仕事だからこそ求められる専門性どの仕事でも求められる人間性を考えてもらっています。


来週は、(有)クリーン日向の鈴木睦代さんを講師に迎える寺迫小学校。

鈴木さんからも、仕事で求められる能力や態度をぜひ学び取ってもらいものです。


ところで、教師にも求められる能力と態度があるはずです。

「優しいけれど、子どもの力を伸ばせない教師、厳しいけれど子どもの力をグングン伸ばす教師」

前述のお医者さんの話ではありませんが、どっちが選ばれるのでしょうか?

小善は大悪に似たり、大善は非情に似たりという言葉もあります。

もう少し粘ればできそうな子に「もういいよ。」と助け船を出す教師と

慈愛に満ち溢れているからこそ心を鬼にして「まだ、やれるぞ!」と押し出す教師


いろんな価値観があるでしょうが、教師や親に求められる能力や態度を立ち止まって考えることも必要でしょうね。


今回のお話はここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年1月28日火曜日

新しい環境 小学校1年生

昨日、財光寺南小学校新1年生の保護者に話をさせていただきました。

伝えたいのは、10歳までの子育てはとても大切だということです。

中学校や高校の先生が

「この学級は、学力差が大きくて大変です。」

ということがありますが、そもそも差があることが普通であり、差がないことのほうが異常だと私は思います。

差があるからこそ、工夫が生まれたり、助け合うことを学べるのだと思うのです。


さて、小学校入学時の「差」は半端なものではありません。

堂々と100まで数えたり、漢字まで読める子がいるかと思えば

じっと座っていることさえ難しかったり、めちゃくちゃ恥ずかしがり屋の子がいたりと、それは大変です。

そういう意味では、小学校入学時の差に比べれば、卒業時の差はずいぶん埋まっていると言えるかもしれません。


そんな大きな差がある集団に入る新入生にとって学校は緊張の極み

それを助けてあげるのは、やっぱり家庭だと思うのです。

「今日はどうだった?」

「なるほど、そんなことがあったんだね。」

としっかり子供の本音を聞き出すことが、子どもの頑張るエネルギーを注入してあげることになるのです。

そうして、たっぷりのエネルギーを学校でつかい切って、また家庭で入れ直す

そんなことを大切にしてほしい。

自分を反省しながらそう思うのです。


忙しくて親の聞きたいことだけを聞いて会話をコントールするのは尋問

子ども自ら話しかけてくることをしっかり聞いてこそ伝わる子どもの本音


始まりは、しっかり本音を聞くところから


今回のお話はここで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年1月27日月曜日

地元経営者に学ぶ~校長会研修会

昨日は、(株)ミツイシの黒木宏二社長をお招きして校長会の研修会でお話を伺いました。

(日本野菜ソムリエ協会主催第1回ドレッシング選手権で金賞に輝いた「日向夏ドレッシング」はミツイシの看板商品です。)

黒木社長から伝わったのは、「想いを社員と共有すること」

地域の財(たから)から価値を見出し、次世代を担う若者のあこがれる会社になることを目指している黒木社長ならではの内容でした。

地域の原料にこだわった真摯な商品づくりや、商品完成までのストーリーを大切にしていることがヒシヒシと伝わってきました。

しかし、そこに至るまでには黒木社長の様々な葛藤などもあったようです。

給与は高いけれども、毎日押しつぶされそうな満員電車で通勤し、他との競争に打ち勝ちながら都市部で生きることの価値観をいったん見直すところから始まっています。

地元には、声をかければ協力してくれる仲間がいる。

まだ、光は当たっていないけれども、磨けば光る「山の幸」や「海の幸」がある。

全国にドレッシング会社はいくつもある。

選んでもらうには、その商品ができるまでの物語が大切であり、その思いを共有するために社員の方々と向き合う時間を大切にしていることが印象的でした。

だからこそ、ミツイシの社員は、自分の会社に夢を持ち、地域の誇れる会社になろうと頑張っているのでしょう。


また、話の中で

・ミッションの大切さ

・人材育成

・伝統と新規事業

・リーダーの育成など

ご自分の経験をもとに、まさに現在進行形のお話でした。


参加された校長先生からは

・当たり前のことを徹底してやる。次世代を担う若者の憧れとなる。このことを学校としてしっかりと考えていきたいと感じた。

企業にとっても学校にとっても信頼が大切であり、応援されることが一番の推進力だと思います。そのためにも社員のモチベーションを高め、力をつけさせていきたいと思います。

などの感想がありました。


社長、校長と立場はちがいますが、未来の人づくりを共に進めたいものです。


今回のお話はここで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年1月26日日曜日

揺らぐということ

キャリア教育と対のように、使われる言葉「夢」

特に、みずみずしい感性の時に、どんな人に出会うか、どんな経験をするかで夢を実現するエネルギーは変わってくることでしょう。

その意味では、学校はカリキュラムを開き、いろんな人に出会わせ、いろんな価値観に触れさせたいものです。

しかし、実際には子供のころに描いた夢を実現できる人は、そう多くはないでしょう。

子供のなりの世界観、知識、経験の中で描いた夢は、大人になるにつれて、変わるのは自然なことですから。

それもまた大切なことです。



玄侑宗久の著書に

『「こうじゃないと絶対いけないんだ。」と断定的な生き方は、人間が生きていく上で非常に妨げになる。』

とありました。

千年も前の禅の考え方「風流の大切さ」から説明をしています。

風の流れのようにとは、何とも頼りなく感じますが

「風流」とは、言い方を変えれば「揺らぎ方」

「人柄とは、事あるごとの揺らぎ方」だそうです。


「揺らぐ」とは、あらかじめ決めておいた事を頑なに通すだけでなく、

まずは、新鮮な気持ちでそれを受け止めて対応すること。


その意味でも、大人になるまでの子供たちに、いろんな出会いや話に触れさせて

揺らがせたいと思うのです。


別の本では、地震で倒れないビルは、頑丈に揺らがないように建てたものではなく、上手に揺らぐことができるものだと書いてありました。

なるほど、有名な三十三間堂も上手に揺らぐことで、創建時の姿をとどめています。


日向の子供たちの免震構造づくりを、進めていきましょうか?


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年1月23日木曜日

音を出す

大学共通テストが終わりました。

テストの内容は、各紙で報じられていましたが、文字が小さすぎて、どんなものかと立ち向かう意欲が削がれてしまいました。

それにしても、文字数も含めて、情報量が半端ありません。

私などは、読むだけでも試験時間が終わってしまいそうな感じです。

また、今回の歴史総合問題を見ると単に覚えているだけで解ける問題はほとんどなく、資料を分析し、自分の知識と照らしわせて答えるものがほとんどでした。


一次情報を鵜吞みにしない力が求められています。

いくつかの情報を組み合わせて考える力です。


そうは言っても、まずは、しっかり正しく読む力が大切です。

学校では、音読が推奨され、家庭でも宿題として出されることが多いですが、

チェックポイントは、意味のカタマリで区切って読めるかどうかです。

文章自体の理解が進んでいないと、元気よく声は出るけど、ブツブツ区切ってしまいます。

息継ぎのタイミングと合わせて、意味のカタマリを意識して読むことが大切です。

そうすると自然に読む速さがついてきますから。


何も家庭で音読なんて?

と思われる方もいるかもしれませんが、静かに読んでいる子も

実は、音読の時と同じように、とぎれとぎれ読みをしているかもしれません。

しかし、声に出さないと見逃してしまい後で気づいて大慌てになったら大変です。

ですから、音読が大切なのです。


難しい大学共通テストの問題を読む前のずっと前の段階ですが

音読は大切にしたいものです。


ところで、入試と言えば面接もありますね。

今、中学校3年生はその練習中の真っ最中でしょうか?

これもまた、自分で考えた想定解答を読むだけでは力になりません。

声に出す。

その声を自分で聞いて訂正する。


「声に出す」ことを大切にしてみませんか?


今回のお話はここで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年1月20日月曜日

学校のルールメイキング(2)

 1月18日(土曜日)に、日向市のPTA研究大会で、ルールメイキングをテーマにパネルディスカッションを行いました。


パネラーは

・市内中学校6校の生徒たち

・先生方(校長、教頭、生徒指導)

・保護者

・地域の方

普通、パネラーが多いと意見を深めるのは難しいのですが、中学生パネラーがよく考えてきており、感心する場面が多くありました。

ところで、諸外国に比べて、日本の学生は、自分が社会を変えることができるとも思っていないし、自己肯定感も低いことが問題視されています。

「どうせ、自分一人では何もできない。」

「そうそう世の中は変わらない。」

と思っている割合が高いのです。


自分で考えることや多様性を尊重することが次代では求められるはずなのに、ルール遵守が重視される現状も影響しているのかもしれません。

ですから、子供たち自身が、

「そもそも、校則とは?」

と考え、ルール自体の意味を見直し、単純な多数決ではなしに、自分のいる社会(学校)を変える経験をして、社会に出ていくことはとても大切なことです。

学校は、そのための練習台

社会に出て失敗したら、可愛そう。

自分の居場所がなくなったり、いつも変わらない仕組みに文句を言って満足できない毎日に晒されることもあるでしょうから。

学生のうちに「そもそもこのルールは?」と考え、議論し、改善する経験をしてこそ、将来の投票行動に結びつきます。

自分の小さな一歩で学校の在り方を変えようとした経験がない生徒に、大人になって投票を呼び掛けても心に刺さらないでしょうから。


「私の学校では、校則検討委員会があって、そこで校則を見直しています。」

「大人は、法律などルールのある世界で過ごす訳だから、中学校でもルールは必要だし、そこで、自分たちを鍛えるべきだと思います。」

「私の学校では、常識の範囲でのツーブロックは認められています。」

「個人によって常識の範囲は変わってくるから、ルールをつくるのは難しいです。」

「お金を出すのは親なんだから、持ち物については親の意見も聞いてほしい。」

など、各校の現状と異なる主張に触れられたことで、今後、各学校での動きが楽しみです。


今回は、ここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年1月15日水曜日

地震から考える周りとうまくやる力の必要性

最近、地震が頻発していますね。

これまでに学校や職場で何度も避難訓練を受けてきましたが、いざ、地震に直面すると固まってしまう自分がいます。

このまま、地震のエネルギーが放出されて、大地震にならないようにと願うばかりです。


日本は地震大国であり、歴史にも大きな影響を与えてきました。

幕末の安政の大地震などは年に1回ペースで10年近く続いて、幕府の力を相当弱めました。

被災地への手当てや免税などが続けば仕方ありません。

ましてや自然科学の発達していない当時は、地震の原因が幕府の政治が悪いからだと難癖もつけられ、権威がガタ落ちだったのです。

しかも、国力が弱っているドサクサのタイミングでペリーやハリスと外交交渉をしたのですから上手くいくはずはありませんでした。

そこで、登場したのは

西郷隆盛 大久保利通 吉田松陰 伊藤博文 など

若い彼らが日本の夜明けを牽引しました。


それから約100年後の戦中戦後の大きな地震(昭和19,21年)

から日本を復興させた

松下幸之助(松下電器) 本田宗一郎(ホンダ) 盛田昭夫(SONY)

若い経営者たち。


どちらの時代も、国難の中、力強く前に進んだのは人生の残り時間がたっぷりある若い世代でした。


元京都大学教授の 鎌田 浩毅氏は

高知の港の地震後の隆起の高さの記録が残っていることに着目した研究で有名です。

例えば、地震後に港の海底が1.5m隆起した時は150年後に大地震

1m隆起の時は100年後に大地震(数字は正確な記憶ではありません)

といったもので、前回の隆起の高さから、次は2035年前後に来る可能性が高いという説を唱えています。

そんなことを言われても、なかなか対策が思い浮かびませんが、

個人では、災害救助がくるまでの食糧や水、充電器等の防災グッズを用意しておこうと思います。

地域では、人間関係を作ることでしょうか。

互いに助け合える関係が必要でしょう。


今、日向市ではコミュニティスクールを推進しています。

防災の観点からも、大人も小中学生も含めて顔の見える関係をつくることが求められます。


だからこそ、周りとうまくやっていく力を皆で育てたいものです。

次代を創る若者を育て、次代を牽引してもらいたいものです。


今回のお話はここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年1月14日火曜日

平等な依怙贔屓(えこひいき)

学校では、どうしても問題行動を起こす児童生徒に指導のエネルギーを取られてしまいがちです。

すると、普通に真面目にやっている子への先生方の関りが薄くなってしまいます。

薄くなってしまうことは避けたいのですが、それ以上に避けたいのが、普通にちゃんと真面目にやっている子を正当に評価しないことです。

例えば、毎日のように清掃をサボっている生徒が、教師が見回りに来た時に

たまたま真面目にやっていると

「やればできるじゃないか!いいぞ、頑張って続けような!先生は嬉しいぞ!」

と褒められたとします。

一見、良い声掛けのように思えますが、まずい対応です。いつも真面目にやっている生徒はたまったものではありません。

大多数の真面目な生徒のいつもの頑張りを正当に評価し、

「君がいつも真面目にやってくれているお陰で・・・」とか
「ごめんね。いつも声掛けできなくて。でもちゃんと見てるからね」

がないと、まじめな生徒のモチベーションが上がるはずがありません。

要は、あなたをちゃんと見ているということを伝える責任が大人にはあるということです。


ところで、オーケストラは、活躍の目立つバイオリンと滅多に顔を出さないチューバ(ドボルザークの新世界では45分中1分程度)など、様々な楽器に支えられています。

演奏者一人一人にとって、一番大切なのは指揮者との関係のようです。

カラヤンは、全ての演奏者に、個別の一対一の関係を意識させるのに優れていると言われていました。

全体に振られているタクトでさえ、一人一人の演奏者が、「あのタクトは自分のために振られている。」と意識することが、仕上がりを素晴らしいものにするようです。

本来、指揮者のタクトは始めるタイミングと終わるきっかけを与えるものでしょうが、こういった関係を作り上げれば、指揮者が髪を振り乱して伝える情感さえ、自分に向けて伝えてきていると理解できるのでしょう。 

学校では、どうでしょう?

朝の会や帰りの会などの話が、全員に向けてのものであっても、一人一人が自分に向けての言葉だと思えたら、受け取り方も違ってくるでしょう。

もしかしたら、全体に向かって先生が笑顔を見せた時にチラッと目があった全員が、「あの先生の微笑みは、きっと自分だけに向けられたものだ。」と感じたら、しめたものです。

ある意味、自分は先生に贔屓(偏愛)されていると、全員が思ったら、それは平等だとも言えます。

その平等な依怙贔屓が生徒を安定させるのです。

今回のお話はここで終わります。

次回をお楽しみに

2025年1月13日月曜日

大人になるということ

昨日は、成人の日でした。

大人の仲間入りをした喜びの顔と、そこまで育て上げた保護者の安堵の顔が映像で何度も流れていました。

さて、60歳を過ぎた私の中にも大人になり切れない部分があって、説教めいたことは言えませんが、私は成人の若者が単に羨ましく、眩しく見えます。

仮に人生を100年とするならば、20歳の成人者は人生の5分の1しか終えていません。

人生を1日に例えるならば、彼らはまだ、朝の5時にもなっていません。

そう、夜明け前です。

20歳になるまでに彼らなりに喜びや後悔もあったでしょうが、まだまだこれから。

何をするにしても目指すにしても十分な時間があります。

その残された時間こそが、若者の圧倒的な財産であり、魅力ですから。


何だってできるし、何だって叶う

要は覚悟次第。


と思うのです。

成人の日に開封するタイムカプセルには、未来に向けた手紙を残すことがあります。

それと似たようなことを幕末の越前藩の橋本左内もやっています。

彼が書いた未来に向けた啓発録には、

「稚心を去れ」・・・目先の遊びや怠けたい心や親への甘えは捨てないといけない。

とあります。

15歳で元服(成人)していた昔のことですが、その覚悟に驚きます。


また、その啓発録には、交友を択ぶ(択ぶとは良い方を取るの意味)とあります。

友人には自分を成長させる益友と自分を堕落させる損友がいるからと言うのが理由みたいです。


夜明け前の成人には、友を固定せず、これからも自分を成長させる人たちに出会ってほしいものです。


成人おめでとうございます。


今回のお話はここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年1月8日水曜日

学校のルールメイキング

今月の18日、日向市PTA研究大会で学校のルールメイキングをテーマにパネルディスカッションを行います。

学校のルールが、ブラックだとか理不尽だから、校則を見直しましょうという訳ではありません。

日本は民主主義国家ですから、ルールを決めた上で他者の自由を認めることが大切です。

そのルールも、多様な見方や立場から考えて、議会で決められたものですから、一部の人だけで決められたものではないですよね。

子ども達は、未来の社会を支える人材ですから、学校時代にルールづくりに加わる経験を積ませたいのです。


1994年に、日本は国連の「子どもの権利条約」を批准しています。

要は、子どもは差別されず、大切にされ、しっかりと保護されなければならないということなのですが、

その中に、子どもが自分の意見を自由に発言し、重視される権利が入っています。

難しい言い方をすれば、意見表明権とか意向尊重権と表現されます。

となると、大人は「子どもの言うことだから・・・」ではなく、ちゃんと一人の人間として尊重して意見を聞いてあげることが求められます。

そして、子どもの方も、知恵を絞って、他の自由を奪わず、最後は握手できる案を出すことが求められます。


国の方でも3年前の生徒指導提要にて、校則の見直しを児童生徒の意見を入れながら、絶えず見直していくよう指導しています。

ですから、「校則は変わらない」ではなく、「校則をよりよく見直していく」ことが当たり前で、見直さないのは・・・・?


もちろん、ルールは簡単には変わりません。

ルールにはそもそもの役割や意味があったはずですから。

ルールを変えたい人も変えたくない人も理由を持っていますから、合意にたどり着くのは結構大変。


しかし、、日向市PTAがそこに目を付けたのはとても良いことだと思います。

通いたくなる学校づくりにつながることでしょう。


今回はここまでにします。

次回をお楽しみに

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流暢性の幻想?

学生にとっては、最後のまとめの時期を迎えました。

試験も目白押しでしょう。

中高生は、英単語や歴史の重要語句など覚えることがいっぱいで、大変そうです。

ところで、近年、効率的な記憶の仕方についての科学的なデータが集まってきました。

その中で、分かった気になったり、覚えた気になったりしているのに実は身についていないことが多いことが分かってきました。

特に意味がないのは

授業中の黒板を写したものを、そのまま学習帳に写し直す勉強です。

時間をかけたのでしょうが、脳に全く負荷がかかっていません。

何も考えずに写せば済むものだからです。

言い換えれば、誰でもできる作業

ただ、厄介なのは、分かった気になってしまうところです。

見たことがある文字列が並んでいるからなのですが、学びの効果は極めて薄いことが分かっています。

となると、黒板を写す行為そのものも大して意味がないことが分かります。(板書をノートにとらずに叱られることが多かった私は、𠮟られ損だったかもしれません)

分かるとか覚えるには、「望ましい困難」が必要だからです。


「ちゃんと写しなさい。」

ではなく

「自分の言葉でまとめ直しなさい。」

とか

「習ったことから3つのクイズを作りなさい。」

なら、写すのとは違い脳が汗をかきます(負荷がかかります)から。


そうです。

いかに丁寧に写すのかではないのです。

アメリカの研究で、ハイライト(ラインマーカーで強調する)をしたり、赤線を引いた場合とそうでない場合の習得率が分かってきました。

その研究結果は、刺激的です。

両者に全く差異が見られないのです。


これも理由は同じ、分かった気になるけれど、分かっていない。

線を引いただけで勉強した気になっているだけなのです。


解決方法は、インプット(教わる、書き写す)とアウトプット(教える 思い出す)の割合をせめて半々程度にすることらしいのです。


となれば、国語や算数などの教科はもちろん、よのなか教室で学んだものは、アウトプットしなければ勿体ないことが分かりますね。


今回のお話はここで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年1月6日月曜日

情報収集は、手間も必要?

生成AIやChatgptは、人間(私)の理解を数段超えて、いろいろなことを可能にしています。

YouTubeでは、本当か嘘か分からない情報発信番組が興味深く作られています。

その精度たるや、ビックリするくらいのレベル!

玉石混交の情報の取捨選択は、ますます難しくなりました。

私などは、すぐに騙されそうです。


となると個人の情報を見極める力が、これからはとても大切になってくるでしょうね。

しかし、この力は、どう付けたらよいのでしょうか?

それは、面倒くさいけれど、情報を取りに行くために足を運ぶことかもしれません。

ネットに転がっている情報は、誰かが再加工したものがほとんどで、発信者の熱や想いは削がれたり、方向を変えられたりしています。

だから、直接、会って聞くのが一番だと思うのです。


ビジネスの国際会議でも、学術の会議でも、会議の中の発表そのものよりも、合間や前後での情報収集がとても役に立つと聞いたことがあります。

そこには、発信元の生の情報が転がっているからです。

つまり、声のトーンや声量、表情の変化、体で表現されるものなど、現場でないと分からない情報の強度があるからでしょう。


ですから、今年も本センターは、「生」の職業人を、子ども達の前に連れて行き、

「生」の情報を伝えていただきたいと思っています。


手間はかかるけれど、そこに真実があるからです。


今回はここまでにします。

次回をお楽しみに。

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2025年1月5日日曜日

心と体の令和

令和7年が始まりました。

「令和」もすでに定着しましたね。

「令」は美しい 「和」は調和

英語では、beautiful harmony

社会全体も私たちの仕事もしっかりと自らの責任を果たした上で美しい調和で前に進むことを願っています。


さて、学校は今日から始まるところも多いのではないでしょうか?

正月休みで生活のリズムが乱れ、朝起きるのが大変だった生徒や

「さあ。やるぞ!」という心の準備ができていない生徒もいたかもしれません。


昔から、心身を大切にとか、心身を鍛えよとか

言われてきました。

「心」だけ、「体」だけではない、両方。

それは、互いに影響しあっているからだと思います。

算数でいえば、足し算ではなく、掛け算

例えば、心も体も元気100%の生徒がいたとします。

足し算なら、体100%  心100点ですから

 1+1=2

 体は元気100%でも、心が20パーセントの生徒なら

 1+0.2=1.2

となり、元気な生徒に比べると6割くらいのエネルギーになります。

しかし、これを掛け算で考えると

 元気な生徒は 1×1=1

 心が20%の生徒は 1×0.2=0.2

元気な生徒の5分の1しかエネルギーが期待できないのです。


故郷の子供たちが、新年を心と体の美しい調和で始められることを願っています。

本年も宜しくお願い致します。

次回をお楽しみに

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「登校する」「下校する」

 トム・クルーズの最新作「ミッションインポッシブル:ファイナルレコニング」が来月封切されます。 62歳の大スターは、今度はどんなアクションを披露してくれるのか 衰えて燃え尽きそうなスターダストの私には想像もつきません。 さて、映画館に行く時に「登場」、出る時に「下場」とは言いませ...