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2025年3月31日月曜日

「いってらっしゃい」と「ただいま」

新年度が始まりますね。

4月は進学や就職で生活が一変しますから、元日とは違う1年の始まりに緊張感も走ります。

学校では、4月2日生まれから翌年の4月1日生まれを同じ学年にします。

今年で言うなら、令和7年4月2日生まれから令和8年4月1日までが同じ学年

なんだか変ですよね。

しかし、これは法律で誕生日前日の24時に満年齢を迎えるとされているからです。

そうなると、令和7年4月1日生まれの人は、令和8年3月31日の24時に満1歳になります。

この考え方で行くと、閏年の2月29日生まれの人も毎年、2月28日に年を取ることができるのです。


明治時代に始まった4月はじまりの年度

年貢米から税を計算していた頃は、収穫米が納められる10月くらいの時代もあったとか

米不足の今の日本では、考えられませんね。


さて、講釈はここまでにし、

新年度も家庭や学校、会社での挨拶を大切にしたいものです。

以前、奥様をご病気で亡くされた方が、こんなことを仰っていました。

「どんなに仲がよくても、生活をしていれば、意見の合わないこともあるし、喧嘩にもなります。しかし、朝、喧嘩をして、『行ってらっしゃい』も言わずに送り出したら、あるいは送り出されたら、それが、生きているその人との最後のコミュニケーションになることだってあります。だからこそ、大切な人を送るときは、笑顔で言ってらっしゃいと言って送らないと後悔することになります。」

確かにその通りだなあと思ったのです。

 忙しい中で生活をしていると、家族への言葉かけも十分ではありません。明日もあると思って接しているからでしょう。

反省させられる示唆でした。

 学校ではどうでしょう。

 先生方は、下校する子ども達に笑顔で「さようなら」と言っているでしょうか。

注意のオンパレードで子ども達に下を向かせていないでしょうか。

 「いってきます」も「さようなら」も、笑顔の交換なら最高です。

家庭でも学校、会社でも、その笑顔や声かけが、大人の責任かもしれません。

そんな4月の始まりを迎えたいものです。

今回のお話はここまでにします。

次回をお楽しみに

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2025年3月26日水曜日

書くことが苦手?

話し言葉と書き言葉が同じ英語と違って、日本語は明らかに言文が異なります。

話し言葉で、文章を書くと、何だか中身を薄く感じてしまうのはそのためでしょう。

逆に書き言葉で書かれたものをそのまま読み上げると、少し仰々しくなります。

言文不一致ですから大人になっても「書く」ことはなかなかハードルの高いものかもしれません。


しかし、困ったことに大人になっても、いろいろな機会に「書く」ことが求められます。

だからこそ、子どものうちにどう鍛えたらいいのか考えてみましょう。


「書く」から想像できる小中学生の活動と言えば、作文

得意だった記憶の人は少ないのでは?

何しろ、「思った通り書きなさい」と言われても、何を書いていいか分からないのですから。

仮に一つの作文を先生のアドバイスで書き上げたとしても、次もまたゼロからのスタートの場合が多いかもしれません。

なぜなら、書き「型」を習っていないからです。

いったん、型を習えば、後はそこに材料を入れるだけですが、その型が曖昧だと途方に暮れてしまうのは、当然です。


さて、「型」ができ上ると、次は目利きの段階に入ります。

料理人が美味しい料理を作るときに素材にこだわるのと同じです。

書く時も、良い材料集めが大切です。


加えて、料理人が毎日料理を作って腕を磨くのと同じで、書くことも毎日やっていかないと上手くならないから困ったものです。

しかも、出来上がったら、誰かにすぐに食べて(読んで)もらいたい。

料理がアツアツのうちに味わってもらって、感想をもらえればうれしいのと同じで

作文も、できるだけその日に読んでもらって感想がもらえれば次の作文を書くエネルギーになります。


ですから、この春休みに日記を書くお子さんがいる保護者さんは、アツアツのうちに読んで感想を伝えてみてはいかがでしょうか?



本年度のブログはいったん今日で終わります。

いつもアツアツを読んで頂き有難うございました。

では、次回をお楽しみに

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2025年3月25日火曜日

馬耳東風

本日、日向市の小中学校では修了式を迎えました。

日本の四季は、変化に富んだ美しさがありますが、寒暖や風雨で人を鍛える側面もあります。

そんな日常を乗り越えて、修了式まで辿り着いた子供たちに拍手です。


さて、修了式を終えた子供たちの耳は確かに鍛えられたでしょうか?

まさか馬の耳になっていませんよね。


学校での馬の耳訓練は、学校放送で培われている笑えない側面があるかもしれません。

わざわざ、チャイムを入れて学校中を静かにさせておいて、特定の人にしか関係のない情報を放送し、静かに聞いていない子供たちを指導するのは、どうでしょう。

本来、放送はそこにいる大部分の人に関係があることか、緊急時に知らせたかったり、協力をお願いしたりすることに限定したいものです。


それなのに、自分に関係ない連絡を、自分の活動を止めてまで聞くことを強いられなら、聞いているふりをしなければなりません。

時々、学校放送を頻繁に使うツワモノ教師がいますが、これって意味があるでしょうか?

関係者にだけ伝わるように工夫すれば、解決できる問題です。


学校での指導が

「静かに放送を聞きなさい!」(あなたに関係なくても)

「ちゃんと最後まで放送を聞きなさい」(あなたに関係ないのは知っているけど)

を続けると、子供の耳は馬の耳に大変身するかもしれません。


つまり、学校での放送を聞く訓練とは、放送の内容を理解することではなく、静かに放送が終わるのを叱られずに待つものになってしまうのです。


聞き上手というのは、意見が違っていたとしても相手の言い分を正確に理解することです。

しかし、馬の耳訓練を続けていくと、入ってくる音をBGMにし、とりあえず話し終えるのを静かに待つ耳が育つのでは、心配になります。

現在、日向市は午後3時

何と風向きは「東」


修了式で校長先生や担任の先生から聞いたお話が馬耳東風になりませんように!


今日のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月24日月曜日

美しく縫うための「しつけ」

小学校家庭科では、エプロンや小物入れの袋を作ります。

特にエプロンは、使う布の面積が大きいので、いったんマチ針や仕付け糸で、布の折り目をハッキリさせたり、二つの布を上手に重ねたりします。

本当なら、しつけなしでどんどんミシンをかけて縫い進めたいところですが、丁寧なしつけをサボると、ズレたり、よれたりして作品が台無しになることがあります。

これは、教育でも同じことが言えるかもしれません。

基本のしつけができてこそ、個性あふれる作品が仕上がるのと同じように

躾(しつけ)ができてこそ、個性が花開くのだと思います。


ところで、「躾」というと型ぐるしく感じるかもしれませんが、

良い躾は、繰り返し繰り返し同じことをしているうちに習慣になり、当然になる教えです。

歯磨きだって、朝の洗面だって、そのうちにやっていないと落ち着かなくなるもの

最終的には、ごく自然にできる人としての品(しな)になるものです。


何かと話題の絶えない大阪万博で、諸外国からの来賓を迎えるキャストをされる方は、立ち居振る舞い、言葉遣いまで、日常も含めて繰り返し、意識し訓練しているそうです。

それらの所作が自然にできるようになると、それを超えたしなやかなその人らしい対応も期待できそうです。


個性を育むためにも、基本となる躾は無視できません。


ゲルニカで有名なピカソだって、徹底的に美術教師の父親にデッサン力を磨いてもらい、あのキュビズムに入っていったのですから


では、その躾け、何から始めましょうか?

これからの時代、コミュニケーション能力が大切だと言われ続けているのですから

曖昧になりがちな言葉の躾を見直すのはどうでしょう?


学校でも家庭でも言葉の躾を行い、美しく言葉を縫えるようになってほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月23日日曜日

縦に読む、書く

ネットニュースを含め、WEB上の情報は横書きの文字で溢れています。

縦書きを目にするのは、新聞と小説くらいのものでしょう。

昨年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の紫式部が、現代に生きていたらビックリでしょうね。

千年も前から縦書きの文化だったのですから

もっとさかのぼれば、熊本県の玉名市江田船山古墳から出土した太刀に刻まれていた文字も縦書きですから、明治以降の横書き文化は一気に縦書きを侵食したかもしれません。

タイプライターでは、誰でも美しい文字が印字できますから、日本人が飛びついたのも頷けます。

しかし、文字数の少ないアルファベットではなく、文字数や種類の多い和文では相当苦労したはずです。

ところが、技術を高めて、和文タイプライター、ワープロ、パソコンと簡便なものを作り上げ、ついには便利な横文字文化の隆盛です。

横書きなら、コピペもレイアウトも簡単ですからね。



しかし、縦書きにも味があります。

今週は小学校の卒業式ですが、式辞などは蛇腹状に折り目を付けて読み進める方が便利です。

折り目は横でなく、縦の方が両手の構えも落ち着きます。


我が町は、若山牧水生誕の地ですが、牧水の歌碑で横書きの物を見たことがありません。

縦書きの方が、使う言葉の順番に意味が出てくるように感じます。


縦書きにもよさがある。


新聞を家庭で購読している数も減っている現代、丁寧に縦に読み、書く経験も大切にしたいものです。


この横書きのブログを書いている私が言うのも何だか矛盾しますが・・・。

最近、横でもないし、縦でもなく斜めに読んでいる私の反省です。


今回はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月20日木曜日

陰の力

卒業式や離任式での先生方のお別れのスピーチ。

途中で感極まって声に詰まる先生

涙を我慢して、

少しトーンを落とした声色で何とかお別れの言葉を伝える先生

あらかじめ用意した原稿を淡々と読まれる先生

など、どの先生も懸命に気持ちを伝えます。

そんな先生方が一斉に涙を流す瞬間

それは、最後の校歌を聞く時です。


心が震えます。


涙を流す生徒の姿が目に入ると余計に心が震えます。

教師の労働環境や働き方が問題視されていますが、人を育む仕事の尊さを実感する瞬間です。


ですから、日頃から校歌を大切にしておくことは意味あることです。

日頃からいい加減な校歌の歌い方しかできていなければ、送る気持ちが上手に伝わりませんから。


ところで、こんな感動の時間を陰で支えてくれる人がいます。

日なたに置いたり日陰に移動したりしながら微妙に開花時期を調整して準備をする人

お別れのメッセージを集めたり、会の進行を工夫してくれる人

それを見送ってくれる地域や保護者の方々

いろんな陰の力の人たち。


「慮(おもんぱか)る」

周りのことに思いを巡らすこと


そんなことができる人づくりをキャリア教育でもお手伝いできたらいいなと思います。

今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月18日火曜日

応援する力

大リーグの開幕試合に、日本中が湧いています。

何しろ先発投手が両チームとも日本人で、昨年度50-50を達成し、MVPを獲得した大谷翔平選手も出場とあって、報道もヒートアップ気味ですね。

5万人もの観客が声援する光景は、あの悪名高いローマ皇帝のネロが10年の歳月をかけて建設したコロッセオの時代もあったでしょうから、人は昔からひいきの選手を応援することで喜びや連帯を感じていたのかもしれません。

もちろんネロの時代、闘技場の中で行われるものは、拳闘士競技や猛獣狩りなどですから、今の常識からすると完全にOUTですが、市民の楽しみであったのは確かです。

ひいきの選手が勝つと自分が勝ったように喜び、負けると選手以上に落ち込む。

しかも、勝ったら乾杯し、負けたら悔しい杯を重ねるのですから、応援は喜怒哀楽を含め、人に様々なものを与えてくれていました。


応援する行為は、人間に力を与えるものなのでしょう。


阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、能登の被災地でも、避難生活を余儀なくされた人たちの中で、最初に元気になっていった被災者は、励ます側、応援する側になった人だと聞きます。

つまり、全国から届く支援物資の配給を待っているだけでなく、支援物資を仕分けをしたり、配ったり、声をかけて励ましたりしている人が、元気になっていく。

もしかしたら、ボランティアで活躍しておられる方々は、応援することで元気をもらっているのかもしれません。


となると、小学校や中学校の時代に応援の喜びを経験させるのも大切だろうと思います。

運動会だけでなく、日々の授業や係活動でも級友や学校を応援して、自分も元気になってほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月17日月曜日

言葉を大切に

 ずいぶん昔の話ですが、山間へき地に勤務した時、その学校の子供たちの使う言葉に驚いたことがあります。

それは、小学校の低学年であっても、敬語が使えるということでした。

もちろん、相手に対して尊敬語を使うか、自分が一歩引くような謙譲語を使うかの区別はできてはいませんでしたが、ちゃんと敬語を意識していることが伝わってきました。

「先生、~してもいいですか?」

「はい、~をしたいです。」

先生に対して、ただの単語で答えるでもなく、友達言葉でもない。

しっかりと敬語を使うことが当たり前の文化が継承されていました。

敬語を使うということは、目の前の相手を大切に思っていることを表します

子どもは大人を敬い、慕う

大人は子供を慈しみ、育てる

というのを「長幼の序」と言いますが、それも感じたのです。


もちろん、上下の関係でなく、伴走するための横並びの関係は大切です。

しかし、言葉が心を表すとするならば、我が国の大切な文化はなくしたくないものです。


心は見えないけれど、心遣いは見えるもの

その一つは敬語かもしれません。


ところで、本年度、市内の数校からビジネスマナーについての講座依頼を受けて対応しました。

その際に、教師の言葉遣いもテーマにしました。


教師も立派な社会人

大人としての言葉遣いを見直すことは大切なことでしょう。


3月は別れの時でもあります。

互いを思いやる言葉を交わし、一歩踏み出してほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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卒業式のお祝いの言葉って生かせないでしょうか?

これまでに何度も卒業式に出てきました。

学生の立場、教師の立場、教育委員会の立場、保護者の立場で

その数は、50回前後にもなります。

その中で、心に残る話を何度も聞いたはずですが、意外と残っていません。

勿体ない話です。


もちろん、いい話だなあと思うこともあったのですが、こうも忘れているとなると

我が身の記憶力のなさを嘆いてしまいます。

どうも自分自身の話を聞く姿勢が良くなかったようです。


一方、弁解になりますが、これは私に限った話ではないと思うのです。

一般的に卒業式の厳粛な雰囲気の中、来賓の登場に合わせて立ったり、座ったり、礼をしたりの練習は何度も行われます。

しかし、聞いた話を自分の今後に生かすかの訓練は受けていません。

ましてや、畏(かしこ)まった儀礼的な話を延々と棒読みされたら、聞き手は時間が過ぎるのだけを待つ癖がついてしまうかもしれません。

卒業生に話を伝えるなら、短く簡潔に伝えるか、別の時間を取って詳しく伝える方が良いのではないでしょうか?


短く簡潔が良いと思ったのは息子との会話からでした。

息子が帰宅し

「今日の校長先生の話はよかった」

と言ったので、参考にしようと思って

「どんな話だった?」

と尋ねると

「短くてよかった。いつも長くて何を言っているのか分からないから、、、。」


もう一つの時間を取って詳しく伝える方が良いと思う理由は、プリントして渡されたPTA会長や来賓の挨拶がとても考えられていて、深い話だと感じることがあるからです。

だからこそ、卒業式ではなく、「よのなか教室」や学級活動でそのお話をしていただき、それをヒントに今後何すべきを考えさせるような流れも意義深いのではないでしょうか?

卒業式でメモもできないあの状態で詳しい話をしても残らないからです。

キャリア教育を推進している身をしては、そんなことを考えてしまいました。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月13日木曜日

勤を以て拙を補う

 お米の値段が上がって、令和の米騒動が続いていますが、備蓄米の放出で少しは値段が落ち着くのでしょうか?

ただ、お米を作っている農家のことを思うと、ある程度の米価でなければ後継者の育成は難しいと思います。

現状では、自分でお米を作るより、ほかの人の田んぼの畔(あぜ)の草刈りバイトをした方が赤字にはならないといった笑えない話も聞きます。

何とか農家の手取りが増える流れだけは大切にしたいものです。


ところで、私は僻地の学校で米作りを体験したのですが、

本当に大変でした。

まずは、田起こし。

冬の間に固まってしまった田んぼの土を乾かし、空気を送り、栄養を回すための作業です。

とても私一人では無理でしたので、代掻き(しろかき)も含めて、地域の方に手伝ってもらいました。

そして、いよいよ田植え。

子供たちとドロドロになりながら田植えを終えて、これで収穫まで一安心かと思いきや、苗よりも勢いよく育つ雑草を小まめに取らないと大変なことになると脅されました。

しかも、雑草が小さいうちに手を付けないと、何倍も作業が大変になるらしいのです。

また、朝晩の水の管理も大変でした。

サボると冷たい山水が田に流れ続けて育たないし、水を止めたままサボると田は干上がる。

しまいには色んなムシがせっかく伸びていく柔らかい葉をチョキチョキ切ったり、食べたりと次々と難題続出でした。

そんな中、地域の方々は、ゆっくりタバコをくゆらせながら余裕の作業でした。

私と子供たちのチャレンジは、こんなドタバタですから、収穫量はプロの半分程度。

この結果の原因は、圧倒的な技術の差。


そんなことは始めから分かっていたのに、その差を埋める努力を私はしていませんでした。

自分の努力不足を棚に上げ、面倒くさがっていたのですから、必然の結果です。


学校の勉強だって、日頃の仕事だって、同じ

「謹を以て拙を補う」 

技術がなかったのならそれを埋めるために毎日しっかり頑張ることが大切です。


もちろん、効率的な学びや働き方改革は大切

しかし、一方では「謹」が我が身を助けるのだと思うのです。


その両方の価値や魅力を、多くのよのなか先生に語ってもらいたいと考えています。

今回のお話は、これで終わります。

次回をお楽しみ。

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2025年3月10日月曜日

基本から始まる大きな世界

最近は、小学校6年生の学級で話をする機会に多く恵まれました。

一生懸命に考える姿を前にすると、話をする大人として責任を感じました。


少し気になったのが、最近の学生の鉛筆や箸の握り方です。

ジャンケンのグーのような握りで鉛筆を握ってしまうと、自分の書いている文字が見えません。

そうなると、自然に首がたれ、横から手元をのぞき込む姿勢になってしまいます。

いくら「立腰」と声をかけても、姿勢が崩れるのは、鉛筆の握り方が悪いからです。


昔は、箸や鉛筆の握り方は幼少期に躾けられたようですが、今は正しくないが主流の気もします。

しかし、こうなると目も近くなるし、重たい頭を何度も上下させる必要も出てきて、集中力も続きません。

幼少期につけたい手先の巧緻性も期待できません。

さらに、書くことそのものが遅くなるので、皆についていけない場合も・・・。

書くのが遅くて、友達を待たせてしまうことだって・・・。


子供が学校で感じなくてもよいストレスは

案外、鉛筆の握りみたいな基本にもあるのです。


子どもの個性は確かに大切

しかし、ある程度のしつけや訓練がなければ

ただの野生です。


ただの鉛筆の握り方ですが

その基本ができて広がる世界は実は大きいと思うのです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月9日日曜日

確かな情報にアクセスしたい

 その昔、日本の歴史書には「鏡」という文字がついていました。

大鏡、今鏡、水鏡、増鏡

どうしてなのでしょう?

これらは鏡物(かがみもの)と呼ばれ、問答・座談を傍らで観察するという体裁をとっています。

ただ、この「鏡」は別の意味があります。

つまり、正しく映すという意味です。

変な解釈や要約を入れるのではなく、ありのままを残そうとする意味があります。

その意味では、真実を映そうとする先人の思いが伝わります。


キャリア教育を進める上で大切な視点の一つに、課題対応能力があります。

そこで、大切になるのが情報活用の力。

情報の本質を理解し、課題を見つけて、計画を立てるのに役立ちます。


しかし、巷は玉石混交の情報で溢れています。

生成AIなども活躍する世の中ですから、真実を映す「鏡」の情報かどうかは、ますます分からなくなっています。

では、どうやって「鏡」の情報にたどり着けばいいのでしょう。


1つの考え方として、様々な情報を並べてみて、つじつまが合うかどうかを見極めることが大切だと思うのです。

それに、一緒に吟味できる仲間も。


今は、進学や就職の旅立ちの時

「鏡」の情報で、しっかり未来に踏み出してほしいものです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月5日水曜日

心と体を支える笑い

 昨年度の日向商工会議所のキャッチフレーズは「笑え!」でした。

世の中、上手くいかないこともあるけれど、下を向いていたって何も変わりません。

「運」の神様は、陰気臭さが嫌いらしく、下向きの人には近寄らないとも言われていますからね。

この「笑え!」には納得です。


ところで、もうすぐ始まる春の選抜野球も「運」に大きく左右される大会です。

ほんの数センチでホームランになったり、ファールになったり、

ファインプレーになったり、エラーになったりしますから。


「運」を引き寄せるには、「明るさ」と「徳」らしく

グラウンドのゴミを拾ったり、トイレ掃除を頑張ったりして、その数センチをラッキー側に傾ける取り組みをよく聞きます。

しかも、元気に明るく、笑顔だったら最高みたいです。


今、財光寺南小学校で私が強調しているのは「仲間づくりの大切さ」

良い笑顔は、周りを和ませますし、前向きな挑戦を後押ししてくれます。

ところが、「悪い笑い」は、場を凍らせ、足を引っ張り、やる気を削ぎます。

彼らには、中学校で大いに良い笑いで過ごしてほしいものです。


話は変わりますが、笑いは心だけではなく体の健康にもよいようです。

薬で体調をコントロールするのも知恵ですが、その場合、徐々に薬への耐性ができて、投薬量が増え、来てほしくない副作用に悩まされることもあるとか。

体調にも良い影響を与える「笑い」には、強さが増しても副作用はありませんから、大いに「笑う」ことは、意味のあることだなと思い出したところです。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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2025年3月3日月曜日

成長の角度

 先週から、日向市立財光寺南小学校6年生のキャリア教育をしております。

6年生3学級に、それぞれ5時間ずつの計15時間。

なかなかハードです。

小学校6年生は大人に変な忖度をしませんから、授業を進める私の方が値踏みされています。

しかし、児童に中学校生活の良いスタートを切ってほしいので、本センタースタッフと懸命に取組んでいます。

良いスタートを切るために

1 目標を決める

  (例:勉強を頑張る)

2 アクションを決める

  (例:分からなかったら先生に質問する。友達と教えあう。毎日勉強する)

3 はじめの一歩を決める

  (例:8時から1時間勉強する)

のような手順で子供たち自身に決めさせています。

誰かに言われた計画なんて始めからやる気が起こるわけはないですから。


こうして決めた目標に向かって、中学校生活の構えの角度を上げさせたいのです。

例えば、毎日1mを中学校生活の1000日で進むとします。

30度の角度で始めた場合と31度の角度で始めた場合で考えてみます。

実は、角度が1度違えば1000日後に届く高さは、24m以上違います。

ジャンプしようが、梯子を使おうが、届かない高さ(差)になります。


キャリア教育で大切にしているのは、構えの角度です。

私たちの取組で、その角度を上げてもらえたらと願っています。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに。

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2025年3月2日日曜日

高校時代を輝かせる仲間

3月1日に宮崎県立富島高等学校の卒業式に参列いたしました。

高校生の旅立ちのメッセージは、とても心に響き、感動を覚えましたので、紹介します。

彼らの入学はコロナ禍の最中であり、互いの表情も分からない中でスタートでした。

全員がマスクを外すまでに相当な時間がたちました。

一番表情が輝く高校時代に、互いの表情が分からないマスク越しの関係

大人の私たち以上に、互いの表情が気になる高校時代だっただけに、当たり前の今の有難さを実感しているようでした。


もともと日本人は、表情に敏感な民族だと私は思います。

ですから、目の表情が見えないサングラスでは、何だか近寄りがたく感じるのかもと思っています。

ちょっとした口元の表情も同じです。

言葉よりも伝わるニュアンスは、表情に現れることがありますから。


ですから、マスク越しの関係の中よく、友人関係、後輩と先輩の関係を築けたものだと感心しました。

先輩を送る後輩の送辞には

「先輩たちが残してくださった校則の見直しなどのプレゼントに感謝する」

という旨の一節がありました。

さらに

「恩を返すチャンスをください」

の言葉も


送る側のこれらのメッセージの中に、卒業生の確かな歩みが見て取れました。


また、定時制生徒の送辞でも、卒業生の姿に励まされたことが分かりました。

そして、その送辞の中で、美しいアカペラで、卒業生に歌をプレゼントしました。

その声に、何とかメッセージを伝えたいという健気な思いが感じられ、会場は水を打った静けさとなりました。

想いは伝わったのです。


また、全日制・定時制の答辞に、親や友人への感謝とともに

「誇りをもって卒業できる」

の言葉がありました。

その言葉から、卒業生の充実した3年間と、それを支えた先生方や保護者の姿が想像されました。


特に定時制生徒からは、バイトと学業の並行して頑張ってたどり着いた卒業だけに確かな経験と自信をもって未来に旅立つ決意が見て取れました。


感動ついでにもう一つ

卒業生が会場から退場し終わったとき

会場内の在校生から自然発生的に一斉に大きな拍手が沸き上がりました。

まるで、

「ちゃんと卒業生を送り出せてよかったね。」

「さあ、次は自分たちが引っ張っていこう!」

の気持ちが乗っているようでもありました。

その拍手をしている生徒の表情はにこやかで、輝いていてました。


私は卒業式後のあんなに温かい一斉の拍手を経験したことがありません。


富島高校

お見事です。


今回のお話はこれで終わります。

次回をお楽しみに

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「登校する」「下校する」

 トム・クルーズの最新作「ミッションインポッシブル:ファイナルレコニング」が来月封切されます。 62歳の大スターは、今度はどんなアクションを披露してくれるのか 衰えて燃え尽きそうなスターダストの私には想像もつきません。 さて、映画館に行く時に「登場」、出る時に「下場」とは言いませ...